佐藤亜紀明治大学公開講座第八回(2008年度第三回)[3]

「近代国家」はどこまで行っても戦争の概念から切り離せない

さて、ナポレオン戦争は、反作用で凄く大きな物を生み出しています。それが、我々が考えるところの「ドイツ人」という物です。この「ドイツ人」という概念は何かという話が凄く難しいわけです。つまり、物凄く古い時代にいけば、「神聖ローマ帝国の版図の中に住んでいて、一定の法律、ラントフォートレア法(?)に基づいて統治されている人民」というのが、「ドイツ人」という言葉の、ある定義であるわけです。その版図の中に住んでいる多くの人間が、ドイツ語を話したというのは本当です。しかし、中にはチェコ人もいますから。かなり広い範囲を含んでいますからね。純粋に神聖ローマ帝国というのが、イコールドイツ人だという意識を、彼らが持っていたとは考えられない。
大体、物凄く多くの諸侯によって分割されていて、彼らはそれぞれ皆、自分の領地から徴税をして、ある一定の行政を行うという権利を持っていますから。一応場所にもよるんですが、軍事と外交の権利は、神聖ローマ帝国とフランクフルトの議会にある事になっていたのかな。少しその辺りはうろ覚えなのですみません。
ところが、「ドイツ人」という言葉は既に存在していたわけですよ。あんたドイツ人?というと、うん、俺ドイツ人、と。凄いのが、あんなにナショナリズムが嫌いだったと言われているメッテルニヒでさえも、俺はドイツ人、という認識は持っていたんです。
さっき言ったドレスデン会談の時の話です。
メッテルニヒは、「とった兵隊は皆ガキばっかりだ。おまけに、あんたの所はロシア遠征でどの位、兵隊を失ったか知っている。戦争が出来る状態じゃないだろう」と、そうはっきり言うわけです。そうしたら、ナポレオンが何と答えたか。「いや、あんなのは屁でもない。死んだのはドイツ人ばかりだ」。
いや、実際そうなんですが。つまり、所謂ライン同盟諸侯からあげた兵隊というのを使っていますから。勿論フランスからも行っていますけれど。それで、死んだのはドイツ人ばかりだ、と言った時に、メッテルニヒは怒ったんです。「陛下、私もドイツ人である事をお忘れなく」。
彼が、自分でドイツ人だって名乗ったのはあの時だけだって気がするんですけれど。
その位、そうした、ある意識はありました。しかし、例えばウィーン会議の時に、ドイツを、統一した国家として作り出そうなどという事は全く考えませんでした。彼はコブレンツの人間で、オーストリアの人間ではないので、今日的な言い方で言うと、本当にドイツの人間なんですけれど、それは考えませんでした。何故かというと、この時の「ドイツ」という概念が、我々が考える「ドイツ」と微妙に違っていたからです。「ドイツ」って国の名前?と言うけれど、国の名前とはちょっと違うんです。
これはまたメッテルニヒの台詞なんですが、イタリアは何故統一しないのかという話になった時に、「だってイタリアっていうのは、ただの地理的な概念だから」と言いました。これは名台詞というので有名なんですけれど。まあお馬鹿な台詞だとも言われていますがね。
イタリアは地理的な概念です。それに対して言うならば、ドイツというのは、地理的な概念というよりは、ある文化的な概念です。つまり、同じ言葉を喋っている。ある同じ習慣を持っている。ある同じ法律に従っている。行政区分は違っても、基本的にスタンダードになる法律は同じ。そういう集団がいる。それが俺だし、だからライン川の所に住んでいる奴と、ハノーバーか何かに住んでいる奴も、俺たちはドイツ人だと言う事ができたんです。
言うなれば、この状態に対して、例えばナポレオン戦争が終わる、その時の戦いの事を――これは凄く持ち上げるわけですけれど――「諸国民戦争」と、私の時の教科書には書いてありました。今どうなっているかは知りません。でも、ドイツ語の膨大な資料集があって、そのタイトルが”Befreiungskriege”となっています。所謂「諸国民戦争」というのは、彼らの概念からすると「解放戦争」なんですね。
ドレスデンで勝ってから、フランスの軍隊をドイツ領から叩き出していくんですが、結局いつも触れ込みと実態は違うという話なんですが、叩き出していくという事がどういう事かというと、ドイツの中にロシア兵をいっぱい入れるという事に過ぎないわけです。そこから先の問題をどうするかというのが、言うなればウィーン会議の最大の問題になるんですけれど。
この「解放戦争」、ドイツ語って意味もなく大仰な感じがするけれど、これは一際大仰ではあるわけです。何故ならば、国家としてのドイツという物が潜在的に始まった、ある瞬間という事を彼らは認識しているからです。革命戦争が、動員された国家としてのフランスという物を作ったのだとすると、そこにいる全ての人間を動員した状態でのドイツという国を作った一番最初は、この解放戦争だと言っていいと思うわけです。
ですから、近代国家というのは、どこまで行っても戦争の概念から切り離せません。それはヘーネ(?)においてさえ同じ。というよりも、解放戦争からドイツが1870年に統一されるまで、60年近い年月が流れる間、ドイツの統一性という概念は、どんどん熟成されて行きます。叩かれたり潰されたり、随分しながらも頑張っていったわけですけれど。経済的な統一はもう少し先になります。1830年代の関税同盟です。

文化が果たした役割

問題は、そこにおいて、文化が果たした役割は何なのかという事です。言うなれば、共通の物と言えば、文化的な物しか存在していない状況、政治的には一時的に挫折した状態におかれているという状況において、共通のドイツ性という物――つまり我々は同じドイツ人であり、本来的には政治的に統一されるべきなんだという方向に向かって、人間を動かしていくのは何なのか。やっぱり文化なんですよ。だから、実を言うと、国家という物が戦争くさいものだとすると、文化というのも非常に戦争くさい物なんです。
従って、まずドイツ語という物が非常な重要性を帯びてきます。言語的な統一です。これはほぼ完全な形であれされる。その中で、19世紀の前半においては、例えばドイツの文学が非常に盛んになっていく。そうした時に、じゃあなんで、と考える。あるいはドイツが統一されていく過程において、文学はどんな役割を果たしたのか。つまりドイツ人の統一というのは、文化においてなされたのだと考えなくてはいけません。
それはそうでしょう。我々は今、凄く簡単に「ドイツ人、ドイツ人」と言っているわけですが、ドイツ人だって必ずしも単一の物ではないですから。
もし非常に純粋な、同一の起源から発生するある民族集団がいたとしても、とてつもない大平原の中に住んでいるのでもない限りは、当然のことながら隣には必ず別の民族集団が住んでいるわけですよ。
この二つの集団はどう暮らしているのかと言うと、仮に中心点においては純粋さが濃いといたしましょう。しかし、この縁を接する部分では、必ず混血します。物事も混血するし、人間も混血します。最終的には、微妙な濃淡によってしか、民族性という物は区別ができない、という状態に、ヨーロッパの場合はなるわけです。
アメリカ人が、民族自決の原則、とか言って持ち込んだ時に、物凄くややこしい問題が起こる理由がそれです。持ってくるなよそんな物、と思うんですが。彼らの頭の中には、どうもそういう物がありますからね。
そこで文化的な物が果たした、ある役割について話をしましょう。つまり、何の話をしたいのかと言うと……ナチの話をしたいわけです。またしても。というか、ナチの話は、通奏低音みたいな物で、実は私のこの講義の密かなテーマだったりするんじゃないかと思います。
つまりナチスドイツの話をする時に、その空恐ろしい蛮行の数々が、どうしても非常にカラフルな形で我々に訴えてくる部分があります。いや、実際に恐ろしい目に遭った人たちにとってはカラフルどころの騒ぎじゃないのかも知れないんですけれどね。
それで、その時に必ず出てくる台詞というのがあるんです。つまり、特に19世紀において、ドイツの文化レベルが、どれだけ高かったかと言う事を我々は知っているでしょう。今でもまあある種の高さはあるわけですが。ドイツ文学であるとか、ドイツの音楽であるとか、絵画というと微妙なんですが。それがどのぐらいの発展をしていたのか。これは我々がドイツをお手本にして明治以降の国家を作っていった事の大きな理由でもあると思います。そのせいで非常に微妙な事になっている所が日本には沢山あるわけですが。
あるいは哲学にしても、ドイツの、と言えば、あれは凄い、と言わざるを得ない物が、19世紀の間にいくらでも生み出されている。そして、それは必ずしも特権階級だけの物ではなく、普通の市民層に至るまでが非常に高い教養を持っていたということを我々は知っているわけですよ。
にも関わらず、と我々は言うわけです。どうしてあれほど文化的な教養がある人たちに、あんな事が出来たのか。
私はもっと意地が悪いから言ってしまいますが、ブゾーニを聴いていた連中が、どうしてホルスト・ヴェッセルの歌に耐えられるのか分からない。『ドイツよ目覚めよ』(音源と歌詞あり)に至っては、普通音楽を聴く人間は、走って逃げると思うんですが、彼らが何故あれに耐えられたのか分からないって事になるわけですが、それはちょっとおくことにしましょう。
本当にね、『ドイツよ目覚めよ』って、行進曲の奴じゃなくて、歌詞が入っている奴ね。笑いますよ。はっきり言って。あるいは、クルトワイルとか、アイスラーの音楽の持つ、少しジャズ的な物を取り入れた、あの複雑さに耳が慣れていた人間が、あの『ドイツよ目覚めよ』を聴いた時に、この糞音楽、となぜ思わなかったのかは、七不思議の一つではあるわけです。
そういう意味で非常に文化的なレベルが高かったにも関わらず、彼らに何故あんな恐ろしい事が出来たのか。一番ひどい例というのが――ちょっと固有名をど忘れするんですが、まあよくある情景です――つまり、ある種のポンピエ(?)に過ぎないと思うんですが、強制収容所の所長が、今日も恐ろしい事をいっぱいした後で、ラジオをつけて、ハンス・ホッターの歌を、『冬の旅』か何かを聴いて、深い理解を示している。グロテスクな情景ってみんな言うでしょう?ハンス・ホッターの『冬の旅』って凄く良いんだけれど、あるいはベートーベンでもいいんだけれど、そういう音楽を愛する心と、平然と人間の事を処分して最終解決していくという事、それが一体どうやって両立し得たの?という疑問です。
ですが、これは本質的に疑問でも何でもないんです。ドイツの場合も、あるいは他の多くの場所でも、多分そういう面においては、そうした問題は存在しない。文化的であればあるほど、それは可能になるんです。
文化という物が、ある国民、ある人間集団の統一の原理として働いている何かを、常に強めるために作用してきた物だとするならば、この同じ文化という物が、他者の排除に対して非常に親和的であるのは当たり前の話なんです。
文化的な事って、凄くみんなに親切にできて、心も正しくて、物事もよく知っていて、間違った事はけしてしないというような認識自体、根本的な間違いなんです。文化的な人間というのは、基本的にろくでなしだと思っていいと思います。もし、文化的であるにも関わらず、うん、あの人っていい人だよね、って誰に聞いても言われる人間がいるとすれば、「いい人だよね」の方か、「文化」の方か、どっちかに嘘があるんです。すごく極端な話。

肉団子の中のカプセル

何かそういう非常にやばいものが、文化的な物が入ってくる時には常にあるのだという考えです。今言っているのは政治的な話ですが、先ほどした、もしかしたら国民国家は終わったかも、という話に続けて考えてみてください。多分今日に至っては、そこで入ってくる最もやばい物というのは、言うならば商業主義の形をとって入ってくる――あの、私この言葉使うの、本当にためらってたんです。昔、ある作家の先生と話をした時に、その先生はそういうのが好きな方だったからですけれど、資本と階級について話をしましょう、って言われたの。資本の話は堪忍してください、って私は言ったんですが。だって私はアカじゃないから、というのが、常時私の中で非常に差別的な定義としてあって、今日に至るまで私はアカじゃないと確信してます。
だから、資本主義という言葉はあまり使いたくなかった。売上至上主義とか、商業主義とか、そういう形でなんとかごまかしたいと思ってきたんですけれど、今日に至っては言わざるを得ないんですよ。資本主義って。
ある状況の深まりの故だと考えてください。多分、それが一番やばいんです。今入ってきている中では。その中で、人間がまた別の形で顔を剥奪されていくという状況が起こっているという問題を少し考えて欲しいんです。文化という物には、いつもそういう何か凄くやばい物が含まれている。犬に薬を飲ませる時に、肉団子の中にカプセルを入れて、ぽんと食わせるでしょう。ああいう所って、文化にはいつもあるわけです。
それをそのまますとんと食うと言うことが、いかに危ないことであるか。もし私がこうして喋っている事に――与太は多いですけれど――何かの意味があるとしたら、その事です。自分が旨い旨いと食っている物に対して、ある警戒心は常に忘れて欲しくないという事です。

神聖ローマ帝国は露と消えたとしても…

その典型が何なのかというと、いや、結局出ますよ、ワーグナーの話。ニュルンベルクのマイスタージンガーです。これはドイツ統一の前夜、1867年に完成されて、1868年にミュンヘンバイエルン宮廷歌劇場で初演されました。
このマイスタージンガー、春に糞のような演出を観てきたという話(*1)は、もしかしたら知っている人は知っているかも知れませんが、その問題もちょっと絡みます。
本当の事を言うと、mpegファイルを持ってきたらここで鳴らせるかしらと思ったんだけれど、mpegにカットしている時間がなかったんで、持ってきませんでした。暇があったらさわりだけ聴けるところが、HMVとかにあると思うので聴いて欲しいわけですけれど、これね、トリスタンとイゾルデの後に作られたんですよ。
ワーグナーって一本真面目に仕上げるって事をしない人だから、ある微妙な行ったり来たりはあるわけですけれど、トリスタンとイゾルデの後です。そう考えると、やはり、うーん何かなあ、と思うわけですよ。
つまり、トリスタンとイゾルデは、凄く無調に近づいており、しかもそれがくるくる変わるんですよね。非常に安定の悪い状態の中で展開していく音楽です。それに対してマイスタージンガーというのは、いきなり、凄く解りがいいんですよ。
ワーグナーの音楽と言ったときに、今そういう事を言う人はいないし、トリスタンとイゾルデの出だしの所、どうだったっけ?ほら、聴かせただろ、やってご覧、と言うと多分子供でもやると思いますが、あれに人間が慣れるまでには、随分時間がかかって、20世紀の初めには音楽評論家さえ、ワーグナーにはメロディがないと言っていたんです。トリスタンとイゾルデはその一番典型的な物かも知れないんですけれどね。
その後で、非常に明確なメロディを持つ、どんな人間にも、それはもう「スター・ウォーズのテーマ」並に解り易い音楽を、ワーグナーが、しかもオケの厚みだけ意味もなく分厚く作っちゃったという物なんですね。
そして、ワーグナーとしては非常に珍しいことに――コメディがこれ一つだとは言いません。実は他にもあるんですけれど――言うならば、世話物でコメディです。音楽も凄く普通。
言うなれば、ポップでキャッチーなんですよ。ワーグナーの作品としては凄く。多分これはわざとやったんだと思うんですよ。
どういう話か。ニュルンベルクという町に、実際にハンス・ザックスという靴屋の親方が居て、歌を歌った。それで、職人たちによる歌の認定試験みたいなのがあって、そこでマイスターというのを取れると、マイスタージンガーになるわけです。そういう形で組織の中で非常に積極的に活動していた人でした。実際、曲もいくつか残っていますし、録音も手に入らないこともないんですよ。
私が高校の時に、物凄く変わった音楽の先生がいて、これがハンス・ザックスの歌だって聴かされた事があります。私は嬉しかったけれど、他の人はどの位嬉しかったんだろうってちょっと思いました。この人物をモデルにしています。
それで、ニュルンベルクの町に食い詰めた若い騎士がやって来るんですよ。そして、とてもじゃないけれど、城や領地など持っていても絶対に食えないから、町に出てきてなんとか食える方法を探そうと思った。彼は要するに歌を歌う男だったんですよ。
それで、たまたま教会で見たエーファという女の子の事を好きになってしまって、亭主にしてもらうにはどうしたらいいの?と言ったら、マイスタージンガーにならないとうちの親父は私に結婚していいって言わないから、って言われた。よし、なるぞ。歌なら得意だー、と言って、そこの歌うたいのおっさん達の集りに行って、歌うんですよ。
ところが、その歌って言うのが(笑)。規則に則ってないんですね。マイスターの歌というのはルールが凄く厳格なんですよ。それで、けしょんとして、どうしよう、駆け落ちしようか、という所まであれしていくというのがこっちの話。
ところでこっちに別の話があって、実はハンス・ザックスは年寄りだけれど、エーファの事が好きで、妻にしたかった。それで、夜なべ仕事で靴を作りながら、こう考えているわけです。
あの若者の歌は支離滅裂で滅茶苦茶だった。だけど、何か忘れ難い所がある。何か非常に大事な物を含んでいる気がする。
それで、結論から言うと、その若い騎士に、こういう形にすれば通るというハウ・ツーを教えます。こういう形で歌えと発音を教えて、なおかつ、競争相手になる、ベックメッサーという奴がいて、容易に想像出来ると思うんですけれど、やっぱり――ベックメッサーの商売ってなんだっけって時々忘れるんですが、靴屋じゃないし揚枝屋じゃないし肉屋じゃないし――市役所の書記でした(笑)。嫌ですよねこういうの。凄く意地悪いと思うんですよ、私。
それで、その市役所の書記をはめて、出来レース的に、でも良い歌を歌って、彼の事を優勝させて、そしてエーファの事を譲るというのが、ま、概ねの話なんです。
分かり易くてキャッチーな話でしょう。爺さんが、若い新進芸術家の恋の為に自分は身を引いて、あとを譲るという素晴らしい話ですよ。
ところが、中に二つ、やばい物が入っています。この微妙さというのが凄い難物で、つまりニュルンベルクのマイスタージンガーをやばい演目にしている理由です。
最後の所で、マイスターにするよ、と言われた時に、騎士のヴァルターが、いや、いらないからと言う。俺は勝ったんだから別にそれは要らない。町人のメダルは要らないと言う。
その時に、ハンス・ザックスが、彼のことを叱るわけです。その時に始まるのが、「親方達を軽蔑してはいけません」という物なんですが、ただの親方ではないんです。「ドイツのマイスター達を馬鹿にしてはいけません」。そこから始めて、かなり長い独唱があり、一番の締めの文句が「神聖ローマ帝国は露と消えたとしても、聖なるドイツの芸術は我らの手に残るだろう」。
これ、非常にメッセージ性がはっきりしているでしょう。
つまり、政治的なドイツの統一はないとしても、文化によって統一されている限り、政治的な統一は必ず来るという。そういうプログラムを示している一言なわけです。
私がやばいやばいと言っているのは何故かというと、ナチスドイツ時代にこれが、物凄くよく上演されていたからです。ニュルンベルク大会の時にも脇で上演していたという話ですし、前線からの兵隊の慰問にチケットを回す演目というのは、トリスタンでもなく、ニーベルングの指輪でもなく、マイスタージンガーだったと言います。私、前線から来る兵隊さんがあんな物で四時間も五時間も座っていたいとは全く思わないんですけれど。
それはつまり、こういう形で、ある国威発揚的な利用が出来たからです。
だから、今、上演する時に凄く困るわけです。この文句「神聖ローマ帝国は露と消えたとしても、聖なるドイツの芸術は我らの手に残るだろう」という、そこの所で、演出家が物凄く苦しむわけです。
これは私が観た中で一番良かったものですが、ゲッツ・フリードリヒの演出。みんなきちんとしたスーツを着て出てくるんです。今時のですから、オペラでも中世の格好をして出てこないわけです。その普通にきちんとした格好をした人たちの中に、ハンス・ザックスが第一幕で登場すると、くっちゃくちゃの麻のスーツみたいなのを着ていて、ノー・タイなんです。髪もぼさっとした男で、俺芸術家ですみたいな態度で出てきます。
ところが、最後の所で「聖なるドイツの芸術は…」とやるわけだけれど、やった後で、なんとなく恥ずかしそうにして居なくなるんですよ(笑)。一応俺って、心はドイツ人だから言わなきゃいけないって気持ちがあったんだけれどさ、やっぱり言うの、ちょっと微妙かも、この問題は。みたいにあれして、そしてベックメッサーって、はめたわけだから、普通は仲悪になるんだけれど、ベックメッサーの事もこうやって、まあええやん、はめたけど、みたいな。それで和解して、みんなが盛り上がって合唱している最中に、こうやって手を振って居なくなってしまう。
すげえ演出だと思いました。これが一つのこなし方です。
もう一つ別のやり方というのがあって、ちょっと私は、そこまでやっては、演出というか、作品として別物になってしまうので、どうかと思うんですけれど、最近聞いた話では、ハンス・ザックスがそれを言い始めると、聴いていた聴衆が、文字通り一歩ずつ引くという(笑)そういう演出があるそうです。現物は見ていません。
だから、凄く処置にこまってしまうんですね。そういう観点で言うと。言ってしまえば、ゲッツ・フリードリヒみたいにすれば、いなせてしまうわけです。演出次第でいくらでも変わっていくというのがオペラですから。だから、神々の黄昏なんかでも、やばくすれば極右的な方向にいくらでもやばく出来るし、極左的な方向に振ろうと思うと、極限まで極左的な方向に振れる。
そしてもう一つ言うと、ワーグナー自身の立場は、ドイツ統一派の、どちらかというと左翼的な所にあったという言い方も出来るんですよ。だって、何しろドレスデンで、革命家で指名手配された事がありますけれど、その時、確かバクーニンか何かと一緒に活動していたくらいの奴ですから。あんなに反ユダヤ主義者のくせに、別にその事に対して、何の疑問も感じないわけで。つまり国粋主義極左が、簡単に両立し得る瞬間というのが少なくともドイツにはあった。そしてワーグナーはそういう奴なんだという事になると思いますね。
つまり、文化、芸術、ようするに文学も音楽も絵画も、政治的な物とは、多分縁が切れないし、必ずどこかに何らかの態度を示している部分が存在している。そして、何らかの形で全く無垢ではおそらくはないという問題は、多分考えておく必要があると思うんですよ。

「行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って」

そういうケースはままあるわけで、そのうちの一つというのが何かというと、ヴェルディの『ナブッコ』。イタリア語にすると凄くあれなんですが、旧約聖書ネブカドネザルの話。あれをオペラにしているんですよ。この中に、バビロンに連れてこられて、底辺労働を強いられているユダヤ達が歌う「行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って」(youtube)という合唱があります。歌いません。歌いませんから大丈夫です。多分聴けばみんな知っています。これが、つまりはリソルジメント、イタリア統一の時の主題歌だったと言われています。でも、実際にはどうも違うみたいなんです。そういう伝説を作った奴がいるというだけの話なんですけれど、ただその歌は、イタリア人にとって非常な重要な歌、らしいです。そして、あるそういう盛り上がりを含んでいる歌であり、そしてイタリア統一とか、イタリア人のアイデンティティという時に必ず登場するもので、トリノ五輪の時も閉会式ではちゃんと鳴らすという、その位の、言わば第二国歌みたいな物です。
ところで、この『ナブッコ』、凄く嫌な話なんだけれど、オペラってリアルタイムで観ていると政治的に結構生臭いんですよね。ウィーンで私は観たんですよ。その年というのが、極右政党が二度目のカムバックを遂げるんじゃないかと言われていた年で、現行の政権としては、極右政党の伸長は是非止めたい。つまりこの前にハイダーという奴がいたわけですが、それが率いて極右政党が伸びてきた時に、内閣の中に二人入れざるを得なかったんですよ。ハイダー自身じゃないですけれど。
多分、凄く困ったんでしょう。その結果どうしたのかと言うと――いや、何をしたのかは知りません。結論しか私は知りません――極右政党からその内閣に入った奴の一人は胃に穴が開いて病院送りになりました。もう一人は転びました。何があったか考えるだけで怖いという話なんですが。そういう事を二度とやりたくなかったわけでしょう。だから、事前に抑えようとか、一応そういうことなんでしょう。
ヨーロッパの場合はよく政治的な理由でテレビ局が特集を組んだりすることがあります。例えば、フランスなどでも、極右政党フロン・ナショナルが凄く伸びそうだった選挙の時に、言うなればNHKに当たるような、国営の第一チャンネルが特集を組んで、フロン・ナショナルの言い分がいかに間違っているか、みたいなことをやるわけです。
本当にいかがわしい番組で、例えばフロン・ナショナルを代表するって人が出てくるわけですよ。選りにも選って、ここの所に刺繍がついていて、それも全部ピリングになっている服を着て、超貧乏そうなおばちゃんが出てきて、「移民なんてみんな学がないんだから!ポーランド人なんて叩き出すべきなのよ!」
それで、フロン・ナショナルの何とかどうとか地区の何とかさんでした、と名前が出た後に、いきなり、超インテリそうな、ぴゃーっとしたスーツを着て眼鏡をかけた教授が出てきて「あ、それは間違いですね。ポーランド人というのは本質的に教育が高いですし、フランスの国家においても教育の世界においては特に非常な貢献をしているという事はやはり知ってもらわないといけない」。
名前出ると、ポーランド人なんですよ(笑)。えげつねえなこの番組って。ずーっとそれやっていて。要するに、いかにフロン・ナショナルというのが貧乏で教育がなくて馬鹿で、それに対するに、それに反対している人たちは、いかにナイスか、という事なんです。ビデオ欲しかった。録っておいてみんなに見せてあげたいくらい凄い番組でした。
それで、その時に観た『ナブッコ』というのはやはりショッキングで、つまり極右が伸びてきている時だったという問題だったんですけれどね。ユダヤ人達が、完全に難民として描かれてしまうんですよ。難民として描かれるだけではないんです。
シンドラーのリスト』の、ワルシャワゲットーに入っていく所を覚えていますよね。ああいう時って、持てないから、着るんですよ。これは知識として覚えておいてください。何か避難する時というのは、上に重ねられるだけの物を重ねて、鞄の中に入れて、両手で持って逃げるというのが、基本難民化する時のセオリーですから。覚えておくと役にたつかも知れません。
そういう形になった貧しげな人たち、乳母車を押してたりする人たちが、本当に肩を落として出てきて、それは観ているとナチの蛮行という奴を心に思い浮かべずにはいられない光景なわけです。そこで「行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って」って歌う(笑)。
つまり、文化というのは凄く多義的な物だから、ある毒餌みたいな物を必ず含んでいるんだけれど、そこを分かっていれば、それを逆転して使う事が出来るわけです。非常に楽観的な言い方ですけれどね。つまりそういう隙を常に探しながら観ていないと、どんな毒餌を食わされるか分からないよという事でもあるわけですけれど。

歴史と「歴史」

本来、今日入るべきだったのは「歴史」の話でした。つまり所謂歴史じゃなく――私が今「所謂歴史じゃなく」と言った、括弧をとってしまった歴史という物は、簡単に言えば、人類がやってきた事の中で、一応記録にとどめられている、為された事全体だと考えてください。そういう歴史ではなくて――ええと、私ね、この前やっと分かったんですけれど、アメリカの映画観ていて、よくこういう風にするでしょう?これ、なんだと思いますか?私初めて知ったんです。””なんだって。ようするに、所謂”国民がね”とやった時は、これ、括弧に入っているわけですよ。ああ、そうか、と凄く納得しました。ずっと不思議に思っていたし、アメリカ人に聞いても釈然とした説明をしてくれませんでしたから。え?分かるよね?と言われたという話なんですけれど。
ただ、為された事のほとんど全体というのは、ほとんど意味を成さない物だと考えてください。例えば、ペルシャ国王がある事件を前にして、これが起こっていたら大変な事になる所だったんだけれど、なんか腹壊して死んだ、みたいな話と、それからもう少しせこい問題、実は彼には愛人がいたんだけれどこの愛人はこういう女で、みたいな話、全部ひっくるめて歴史と考えた時、それは脈絡も意味も全くない、ある混沌とした総体になってきます。
ただ、これを想定してもらわないと困ってしまうんです。つまり、それとは別の「歴史」(ジェスチャー)という物があって、その「歴史」(ジェスチャー)という物は――分り易くていいでしょう?馬鹿っぽいけど(笑)――純然たる文化の産物だと言う事。実態としての歴史という物と、文化としての「歴史」という物と言っていいかも知れません。
そして、この文化としてのある「歴史」というのは、ある凄く微妙な問題をはらんでいます。つまり、今文化というのは微妙にやばい毒餌である可能性があると言いましたけれど、歴史というのは、もっと露骨な形で毒餌っぽさを帯びている事があるわけです。それはもうある意味仕方がない所があって、私はフランス人、とても好きだと言っていますけれど、時々どうかなと思う事もあって、それはそういう厳密さに関してどうかなと思うんです。
例えば、EU立ち上げの時に、EUの共通教科書という奴を作ったんですよ。歴史の教科書。翻訳が日本でも出て、それを見ていますけれど、そこの所で、大変なわけですよ。つまり、怨念がこんなに溜りあった人たちが「一応共通の歴史認識を」って、もうここで文化的な産物になっているの、分りますよね。作ろうって話なんですよ。つまり、これは歴史の事実と関係ないんですよ、この「歴史」認識という物は。つまり、お互いに揉めずに済む為の、ある妥協点みたいな物で、とりあえずこれとこれとこれに関しては、みんな認められるよね、ね?みたいな、そういう物なわけです。
その時に、ぱらぱらぱらっと見ていたら、フランス革命戦争の起源の所に、綺麗な棒がついていて、フランス側からやったって書いてあったから、おおおって思いました(笑)。やっぱりこれはこう言わざるを得ないのかと。でも、ドイツ人はその事について、それほど悪く言わないんですね。これはまた非常に倒錯した話なんですが、彼らはその事によって自分たちがドイツ人である自覚を持って、封建的な――という雑な言い方をしますが――体制と戦う事ができた、という認識をするので、それほど悪くは言わないです。ただ、そういう風に書いちゃったんですよ。
ところでフランスはというと、例えば誰とは言わないけれど、言ってもいいけど、フュレって人です。この人のフランス革命史の本というのを――フランス革命の専門家ですから――面白いからぱらぱらっと見て、戦争の起源の所どう書いてあるかなと思ったわけです。そうしたら、うん、凄く難しい問題はあるけれど、ドイツが先にやったって考えていい、って書いてある(笑)。我々は要するに防衛しただけだよって書いてある。やっぱりそういう認識なのかな、問題の多い件なのねそれは、って思ったら、同じ人の別な専門家向けの本を見たら、そうじゃないと書いてありました(笑)。
彼自身の学説がうろうろしたのか、それとも教育的な意図を持って、ある歴史的な認識みたいな奴を小国民達に教えるためには、そう書かざるを得ないって考えたのか。そこに微妙に二枚舌があります。
「歴史」という物には常にそういう所があります。よしんば全く不正確である事が分かっていてさえも、やはりそういう問題は続いていくという事は認識しておかなくてはなりません。
伝統的に小学校で暗唱させる文句で、「我らの先祖ガリア人は」というのがあります。そこから先、ガリア人の偉業の数々と、今日に至るまでの歴史の話を、どうも覚えさせる習慣があって、あれは良い習慣だから法制化しようという話があって、さすがに流れたんじゃなかったかな。どうなったのかな。ちょっとその辺の結論は覚えていません。
ただ、これが何故馬鹿臭いかというと、今現在フランスで暮らしている人間の内の、どの位がガリア人なのかという問題が物凄くはっきりしないからです。簡単に言えば、北アフリカから来た移民の子供達にもそれを言わせるというのは凄く変じゃないかという話。あるいは、ユダヤ系の子供達とか、国境地帯だったら、ドイツ系の子供達だっているわけです。その子供達にも、「我らの先祖ガリア人は」と言わせる。もっと凄いのは、マリから来た移民の黒人の子供にも「我らの先祖ガリア人は」と言わせるのかあんたは、って話になってしまう。
ただ、国家が子供達、国民である者に教えるべき「歴史」というものは、残念ながら常にそういう色彩を帯びざるを得ないわけです。そうでなかったら、国家がわざわざ国民に歴史を教える意味がありません。歴史なんて、何に使うのかと言ったら、そんな事にしか使えないでしょうという話になってしまいますから。そういう意味で、極めて文化的な存在であるし、文化全体が帯びている、ある動員の道具としての性格をより一層はっきりと帯びているのが、そういう意味での「歴史」だと考えなくてはなりません。

祖国の呼びかけに対する…

問題は何かというと、それこそマリから来た移民の子供が、「我らの先祖ガリア人は」言うときに、という話なんですね。「歴史」という物によって、動員をかけられた時に、そしてもしかすると、その動員に対して応えた時に――いや、だってフランスの移民は、そういう事に凄く積極的に応えていくものですから。だいぶ前、先代のローマ法王がフランスに来た時の話ですが、行った先で必ず一人くらい聖人を任命して帰るんです。一応サービスでそういう事があるみたいなんですよ。その時に、選ばれた顔ぶれ、私は結構感心しました。ブラジル人なんです。ブラジルからフランスにやって来た家族の二世で、第一次世界大戦で戦死した兵隊さんなんです。いや、凄い、実に適切な人材を見つけてきたなと。つまり人種の混交という問題を上手に扱いながらも、フランスの国家への忠誠という問題に対して、あくまで揺らぐ事がない。こんな素晴らしい人材、どこで見つけてきたのかという。
そういう問題もありますけれど、そういう形で呼びかけに対して応えていった人間はいくらでもいます。それを言えば、そういう愚痴って沢山記録に残っていて、一番私が笑っちゃったのは、第二次世界大戦が始まった時のロスチャイルドの所の息子の話で、ロスチャイルドユダヤ人だけど、つまりはフランス人ですから。ちゃんと兵隊にとられて、ドイツと戦おうと思って出かけていくわけです。それで、あっというまに捕虜になってしまって、捕虜収容所に入れられたら、周りのフランス人に、「ユダヤ人、ユダヤ人」ていじめられまくったという話があって、結構怒っていましたけれどね。
そういう形で祖国の呼びかけに応える、応えないという問題は、また少し別の問題であり、そしていかに民族という物を中心にしてそういう呼びかけを行っていったところで、基本的にそういう形で民族を中心にしているケースが多いですけれど――アメリカなどは例外です――その時に、いや、とてもじゃないけれど応える筋合いもないし、という人たちがいるんです。
それはロマの話で、それは別途お話します。そして、その国内のメインを形成しているエスニックグループでない人たちというのもまた勿論います。
これも又聞きなので、与太だと思って聞いてください。ロマン・ポランスキーという映画監督がいるでしょう?彼はユダヤ系ですけれど、その親父はユダヤ系だけれど、熱烈なナチだったらしいです。
これは、あるんですよ。その辺の所は、エーベルスの吸血鬼など読んで頂くと分かりますが、要するにユダヤ人と結びつくことによって成立するドイツというアイディアが、少なくともある時期にはあったんです。
それで、ナチが政党を取ったときに、ポランスキーの親父は凄く喜んで、ベルリンまで電車に乗って行っちゃったんだそうです。そしてそれきり行方不明になってしまいました。
どうなったか考えるだけで恐ろしいわけですが。何があったんだろうねという。その事を身内の一人がばらしたら、残りの身内が全員激怒して、何故そんな一族の恥さらしになるような事をわざわざ公言するのかと言って、一頃揉めていたという話を、フランスに住んでいる知り合いから聞いたことがあります。
でも、そういう事もあるわけです。呼びかけに応える、応えないという。出自の問題とは全然関係がない事なんですが。あるいはそれが関係ない状態で、応えざるを得ない状況に追い込まれていく事はあるわけだけれど、その時に、その人間の固有の顔はどうなってるの、という話です。
あるエスニック・グループに所属して、そこで所謂ルーツやアイデンティティを主張する事だけが、彼の固有の顔を主張する事ではないにせよ、フランスの為に戦うブラジル系二世の兵士には、何か自己定義において、非常に微妙な揺らぎがあるに違いないと考えられます。
あるいは、ユダヤ人というのは、生き残る為に教育をきちんとしなければならないと考えています。いかに東ヨーロッパのど田舎に住んでいる超貧乏な親でも、バイオリンぐらいは習わせようと思うのが、ユダヤ人なんです。なんでかというと、親が、怒り狂ったドイツ人やポーランド人やウクライナ人に撲殺されて、孤児になった時に、楽器が出来れば門付けが出来る。門付けをしていれば、何とか食っていく事が出来るから、この子にはバイオリンを、と言って、教えるんだって言ったのが、確かアイザック・スターンだったと思います。
同じ理由で教育はきちんとしなければならないと思うから、一応学校に行くんですよ。そうすると、きっちりナチ式の教育を受けるんです。そこで、彼らがどんなに思い悩むことか。真面目に勉強すればするほど、自己否定をする方向に向かわざるを得ない。凄く可哀相。そういう本があるんですが、ナチスドイツ下におけるユダヤ人兵士という。
みんな兵隊になります。他に就職口がないから。そして軍隊って、潜り込むと、内輪で庇ってくれる所があるんです。ですから、何をごまかしてでも軍隊に入ろうとする人たちがいました。
その前の段階で、例えば中学生ぐらいの、思春期のもんもんが強烈な状態で、夜寝る前に抜いちゃったりするわけですが、抜いちゃうと言うのは、当時凄く悪い事だと言われているわけです。そうして、学校に行けば、人種教育の時間があるわけです。「ユダヤ人というのは本来的に好色な人種である」と教えられる。そうすると、そうか、僕が毎日あんな事をしてしまうのは、ユダヤ人だからか(笑)って、一所懸命耐えようとするんだけれど、耐えようとすればするほど、我慢出来ないのは、僕がユダヤ人だからか(笑)って思っちゃうっていう、可哀相な話で。それを喋っているという事は、彼は無事にその後戦争を生き延びているからなんですけれどね。

予告編

その時に彼が経験した顔の剥奪とは、どんな物なのかという話。その話を、ここから先して行こうと思います。その先にはロマの話が来ます。いや、ロマの話は恐ろしい話なんですけれど。ユダヤ人の国防軍兵士の場合は、体は中に入れてもらって、実体は排除されているという状態ですよね。そうじゃなくて、ロマは丸ごと排除されてしまう。存在その物が、その体制の中から消されてしまう人たちというのがいる。あるいは消され続けているし、自らもそういう物を求めずに、ひたすら暮らして来る人たちがいるというのが、ロマで、言うなればロマというのは、1000年以上難民をしている人たちだと考えてもいいわけですけれども。
ちょろっと予告編で言っておきます。何回も言っていて、好きな話なので仕方ないのですけれど。
そこそこ教育も受けているんですよ。最近は定住してますから。一応分かっている、我々とある共通の理解はあるはずの、あるロマの人に、ナチスドイツ時代におけるロマの虐殺というのは、何が理由だと思うのか聞くわけです。
普通そういう場合、ナチズムがこんなにこんなにこんなに悪いって言えばそれで済むわけです。これが我々の考える歴史認識なんですが、物凄く素直に答えたんだと思うんですが、彼はね、すとんと言った。
運が悪かったから。
そこにはいかなる脈絡をも支える事の出来ない、自己自身の存在がある。自分の存在というのが、完全に――それは、最初の内は考えるでしょう。ある文脈によって、これが起これば次はこれが起こる。相手がこう言ったときに、こういうふうにすれば、大丈夫。全ての事を試して全部駄目だった。その時には、世界を支えているロジックその物が完全に意味を失っているわけです。その時に出てくるのが「運が悪かったから」です。それ以外、何の理由も考えられないから。
つまり、完全にロジックが崩壊してしまった状態で、自分自身の体験を語ると、どういう文章を書くことになるのか。それが誰にでも分かる形でロジックを追った文章では有り得ないという事はお分かりでしょう。そういう所から一体どういう表現が出てくるかという問題について、これからお話して行きたいと思います。
ブローデル『地中海』を読んでくださった方おられると思いますが、ブローデル『地中海』の問題も扱いながら、そういう括弧付きの「歴史」みたいな物を解体する、そして、人間と歴史の関係というのはどうしたものであり得るのかという話を次はしたいと思います。



*1 ハヤカワミステリマガジン2008年6月号掲載「独楽日記」第6回参照。

講師:佐藤亜紀

原稿起こし:ぷりぷりざえもん

2008.10.11 明治大学にて行われた講義より。

※この原稿は、講師のチェックを受けていません。ぷりぷりざえもんが許可を得て個人的に録音し原稿に起こしたものです。

※いつものように、ミス、抜け、聞き取れなかった部分のフォローよろしく!



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