佐藤亜紀明治大学公開講座第七回(2008年度第二回)(2008.6.14)[2]

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すっぱだかのナポレオン

 ところで、その話の続き。アングルは一応アカデミーの画家です。18世紀、17世紀以来のアカデミズムの伝統というのがありました。その伝統というのはなんなのかというと、さっきラファエロとちょっと言いましたが、それと当たらずと言えども必ずしもかけ離れていないところで、絵画のヒエラルキーというのがあって、当時アカデミーに入るときに、何を書く画家かというのを、きちんと決められて会員になるんです。その場合に、一番トップに来るのは何かと言うと、宗教画と、古代ローマの歴史に題材をとった絵を描く画家。それから、強いて言うならば、現在の政治家が政治的なエピソード。そういうものを描く画家達を含めてですけれど、こういう連中のことを、歴史絵画の画家というふうに一括して言ったんですよ。
 それに対して、我々は別に今日ではあまり区別をつけないような気がしてますけれど、風俗画と、それから静物画の画家というのは非常に地位が低かった。これは凄く微妙なところはあるんです。どの辺でこの問題が、フランス人の絵画観から抜けてくるかと言う問題。例えばシャルダンという画家いますよね。

エイをこうやってアンコウみたいに逆さづりにして、こうしている店先の絵というのは、多分画集か何かで見たことがあると思います。
 あるいは、帽子を被って男の子がこうやってまじめにカードを合わせているのを横から描いた絵とか。他にも色々あるんですが、基本的に彼らは凄くいい画家だし、今日誰もその事に疑いを持たないんですが、アカデミーの中のランクは低いんですよ。なぜならば、特に静物画を描いた人間は凄く不利だった。古い言い方だと、静物画のことをナチュール・モルト(nature morte)と言います。つまり死んだ自然なんです。で、死んだ自然を模倣するのは、宗教画のような、人間の霊的な問題、人間の精神の問題にとって重要であったようなこと、あるいは歴史画のような、人類の――つまり彼らは自分たちのちっちゃい世界のことを人類と言うわけですけれど――歴史において、大きな影響のあったような物事を模倣して描くことに比べると、そこらにある死んだ自然、自然を真似て死んだ物を描いているのは、明らかにレベルの低い行為だと考えた。
 ましてや、そこらの人間に過ぎない連中を、おもしろおかしく描くなんて事は、あまり評価されることではなかった。従って、意外な話なんですけれど、バロン(パロット?)(49:45)なんかもそういう観点から言っちゃうと意外に評価が低いですよ。それに対してブーシェっていうのは、どうしようもない、いけない萌え絵ばっかり描いている男ですけれど、いけない萌え絵を描く傍らに、時折神々の絵とか描きますし、いけない萌え絵として神々の絵を描きますし、それからいけない萌え絵として歴史的な事も時々描きますので、彼は一応歴史画の画家だという話です。そういう区別があった。
 従って歴史というのはある意味じゃあ、宗教的な物を除いては、価値のヒエラルキーの一番トップにあるものだというふうに考えてください。宗教的な物も、彼らははっきり言って区別がついていたのかというと、すごく微妙な事がありますよね。
 はっきり言ってね、これもひどくショッキングな代物なんですよ。信じられないような絵ってさっきいったのは、さっきのゴードリー夫人の肖像も信じれないですけれど、これも私、信じられないと思った。あり得ないと思った。

 すっぱだかのナポレオンですよ。
 これ1854年か何かにつまり、ナポレオン三世の時代になってから、パリ市庁舎の天井に絵を描いた。つまりナポレオンを記念する絵画を描いて欲しいと言われて描いた絵の下絵です。現物はパリコミューンの時に焼けたんで、残ってないんです。ただこの時は彼の画家のキャリアも最後に来てましたし、だいたいナポレオンに興味のある人じゃないのね。基本的にね。その頃の彼の興味っていうのは、というか多分最初からそうだと言えばそうなんだけれど、本当に彼が好きなのは、こういうもの(#5)なんですよ。なので、どう考えても非常にやる気がなくて、ある程度人を寄せ集めて、助手みたいなのを山のようにあれして、物凄い速成で作ったと言われています。
 ただ、これ、見て欲しいのは、このナポレオン、ある努力はあります。その努力に関しては後ほど触れるつもりでいますけれど、ある寓意画の伝統の中に、ナポレオンという、一応彼ら、当時の人にしてみれば、現代史のモチーフを、はめ込もうという努力はあるわけですね。その結果として、ナポレオンは、現実にはあり得ないぐらいいいガタイをしたナポレオン、すっぱだかのナポレオンになっちゃって、もっと凄いのはね、この布がどこに入っているかよく観察して見てください。こんな事って絶対にあり得ない。さすがに市庁舎の天井にですね、すっぽんぽんのナポレオンを完全に描くわけにはいかなかったということになっているんだろうと思いますけれど。
 いっちゃったら、この異様な美化という奴というのは、アングル自身が劣情に任せて背中の長いお姉さんが好きとか言って描いている時の、劣情の持ち方と、実を言うとあまりかけ離れたところがない。非常に必然的に出てくるあるロジックだと思うし、不自然という点でね。ただ、これはあまり彼はやる気がなかった。

 これ、もっとやる気まんまんだった頃のです。これはナポレオンを生で見て描いてます。1804年かな。確か。いやもうちょっと後かな。 1806年かな。ちなみにこれに関しても面白いエピソードがあって、ナポレオンはこの絵画すっごい嫌いだった。それは嫌いに決まってるでしょうという気がする。実はそこに大きな鍵があるんですね。アングルがどこまで当時の時代の風潮に乗ってて、どこまで乗ってない男だったのか。これはナポレオンという人物を完全にヨーロッパの伝統的な君主の枠組みに当てはめて、解釈して描こうとした絵画です。
 その範囲によって、君主というのはどのようにあるべきかという事を考えたときに、周りにアーミン(白貂)毛皮と別珍と金の刺繍と入れてさ、こうやってごてごてごてごて飾ることによってしか描けない。そうじゃなかったら素っ裸で神々のように描くしかないという、あれはあるんですけれど。
 ただね、凄いアレなのは、この顔なんですよ。この弱っちい顔。物凄く。それでこの顎の辺りが、そんな歳でもないだろうと思うんだけれど、たるんできてて、凄く病弱そうな感じの。顔色の悪い男だったと昔から言うから、その顔色の悪い感じと。強いて言うんだったら、衣装の中に埋め尽くされて窒息しそうになってる感じに見えるわけですけれども、これがようするにアングルが見たナポレオン。
 あるいは、こういう風に解釈することもできます。つまりアングルにとっては、ナポレオンを描けと言われたときでさえも――まあどうせたいして心が動いてないに違いないんですけれど―― ナポレオンに対してなんの感動もないから、うん、どれだけ偉い君主として描くかということにしか関心がないから、こういう事になる。そしてそのどれだけ偉い君主であるかという問題は、ナポレオン自身のカリスマ性であるとか、あるダイナミズムであるとかいうところに全くなくて、きちんと図像学的にこの場合は定められているわけですけれど、制度としても、このクラスの君主は何を身につけるべきか。どのように描かれるべきかという、きちんとした常識があるわけです。そのある常識に従って、描いて描いて描きまくる。その結果として、出てくるのは、当然のことながら立派な君主のナポレオンの像だろ、一体お前何の文句があるんだよって話になるのは、アングル的なある概念なんですよね。
 ここで問題になってくるのは、ようするにこの場合、ナポレオンという、生で見た、現に存在していたある男の、これ(#6)ですよね、皆さんよくご存じの奴はね。ナポレオンはこれに関しては全くけちはつけてないはずです。これは、あっちにある奴じゃなくて、別のところにある奴で。あっちっていってもわからないね。
 それで、これとさっきの玉座のナポレオンと比較して考えて欲しいんです。つまり、あのアングルの描き方というのが、言っちゃったらある一人の人間がですよ、人間を「歴史」という枠組みの中の――今言って良いのか悪いのか考えてますが――「歴史」という物語における強烈なキャラクターの一人として位置づけるというふうに言って良いんですけれど、その時に、アングルが考えた事って言うのは、ああいう事でした。
 つまり完全に君主として完全に飾り物の中に埋没する形できちんと描いちゃった。そうじゃないとすると、別の枠組みを持ってくる。つまり古代ローマの、神として祭られるというのがありますけれど、祭られた皇帝の姿として、従って既に神であるわけですから、着衣である必要はなくて、全裸の姿で黄金の戦車に乗って、月桂樹の冠を頂きながら天に上がっていくナポレオンというのを描いちゃう。どちらも全く生身とは関係がありません。

 だからといって、じゃあこれは生身かといったら、これも明らかに生身じゃないわけです。ここのところにある凄い歴史的な亀裂が入っているという風に私は考えているんですよね。ダヴィッドですけれど。この時はダヴィッド、ノリノリだからね。画家というのは君主の絵を描かなきゃならないとかいう話はありますけれど、見ているとはっきりやる気のあるなし、その君主に惚れているのか惚れていないのかっていう話は出てくるところはあるわけですよ。人間ですからね。御用画家みたいにしてだらだら描いたって、やる気があるのかないのかっていうのは、後で批判的な目で見ちゃうと、結構露骨に分かっちゃうし、そして、もっと嫌なのは、やる気があるのかないのかという問題に関して言うと、意外に描かれた本人が分かる。だからナポレオンは嫌だっていう絵と良いって言う絵がはっきりあって、そこの嫌だって言うのと良いっていうのは、たいして絵を見る目なんかあるわけないっていうふうに考えますが――そんなにセンスのある人間じゃないし、興味もないだろうから。どちらかというと、うん、物事をきちんとありのままに写すというのが絵画なんじゃないのって言いかねない男なので、ナポレオンというのはね。
 ただ、それでも敏感に、自分のことを描いたある絵に関してはOKを出すし、ある絵に関しては、何か微妙な態度をとるんですよ。それはようするに分かってるのね。何が描かれてるかって問題について。それに本人では意識しているか意識していないかに関わらず、反応してはいるんですが。ここであれして欲しいのは、言っちゃったら歴史を描いた絵画についての話になりますけれど、歴史を描いた絵画って、ヨーロッパの絵画において、どうなのよって話で、ちょっともう一回こっちをよく見て、これ、この感じをよく覚えておいてください。凄いダイナミズムでしょう。物凄く綿密に描いてあるように見えて、実は空の辺りとか意外にこう、ぼやけて描いてある。もう一枚のあれは、ジョゼフィーヌ離宮だった場所の方においてある奴は、背景はもっといい加減に描いてあって、その中に指で背景をなすった跡があります。
 そうなんだけれど、こんな風吹いてて、こんなところで、こんな後ろから強風が吹いている時、こんな場所を馬で走るのは誰だって嫌だと思いますが、そのぐらい凄い風が吹いて、こっちをこう吹いて、目の所をこうやって暗くなっているという奴。
 実際問題として、ナポレオンに関して言うと、こういうイメージを当時の人たちも持っていた場合が多かった。で、現物を見て、なおそう思っていた人が多かった。
 ナポレオンというのは、よく三時間しか寝なかったと言いますけれど、三時間しか寝ないんじゃなくて、夜は三時間しか寝ないことがあったと考えた方がいいと思います。なんで夜は三時間しか寝ないことがあったかというと、ナポレオンの場合は、分かっている限りにおいては、一日一日、何時に寝て何時に起きて、その日はどこに行ったかというのを、だーっと書いた本があるんですよ。その本を読んでいると、いつ寝ているかよく分かるわけですけれども、よく昼寝をします。何かというと、昼寝をします。一番酷いのは、食事で大使とか呼んで、一緒に、あるいは自分の所の部下達とご飯を食べていても、ナポレオンは何を出しても15分で食うんですよ。15分で食ってどうするかというと、そこの長椅子に行って勝手に寝ちゃうの。で、寝ていたとかさ。あるいは人に呼ばれて、でも意外に子煩悩なところがあって、自分の子供じゃなくて、弟の子供ですけれど、後のナポレオン三世を膝の上に乗せてさ、まだちっちゃい奴。こうやってひざでもってあやしながら離乳食を食わせるというような話も残っている男なんですけれど、とにかくぱっと寝るんですよ。隙を見てぱっと。で、いやそれはなんでぱっと寝るのかと言うと、死ぬほど眠いからなんです。
 ナポレオンの副官をやっていたベルティエは、副官の勤めをやっている間、一晩たりとも洋服を脱いで寝たことがないという風に言われています。いつ呼ばれるか分からないから。実際、ワーテルローの戦いの時、ナポレオンが戻ってきて、副官としてもう一回働いてくれと言われたときに、断るんですよね。断った後で、つまりとてもじゃないけれどあんな目に遭いたくないと思ったんでしょ?にもかかわらず、その前に住んでいる二階の窓から身を投げて死にましたけれど。なにか非常にノイローゼ的な性格の男の末路みたいで切ないですけれどね。これは。
 とにかく寝られないんですよ。恐ろしい目に遭った奴の話っていっぱいあります。ナポレオン自身もそうで、何時就寝て書いてありますよ。それで次の日の記述を見ると、12時ぐらいに寝て1時ぐらいに起きているの。それは寝てないよねという話で、多分布団の中に入って悶々と考えているんですよ。で、いきなりついに我慢ができなくなって、がばっと起きあがって、誰それを呼べ!っていう。で、そこでいきなり仕事を始めちゃうんですよ。ナポレオンの三時間睡眠てそれで。その結果、戦役の最中、なんか夜中でもいきなり出現するんですよ。そこら中に。様子見に。1809年に橋を架けている時なんかそうで、本当に来るんですよ。いきなり馬に乗って。夜中の三時頃に。
 その時にさ、見た奴っていっぱいいる。あるいは、その後、もうちょっと状況が押し迫ってから、シェーンブルンで、一応毎日毎日閲兵をやるわけですけれど、閲兵の時にどこに行くのか分からない――つまり、フランス軍には、総計でうん十万人の兵隊がいますから、毎日と言っても、全員が毎日そこで閲兵するわけじゃなくて、今日はどこそこの部隊、今日はあそこの部隊ってやるんで、みんな慣れてないから、どこに行って並んでいいのか分からない奴が必ず出てくるわけですよ。で、そいつが書き残してるんだけれど、道に迷ってそこらをうろうろしてたんだって、そしたら目の前にいきなりナポレオンがざっと表れて「お前何をしにきた」。
 それはいいんですけれど、普通はね、あれなんですけれど、その時にね、ナポレオンがね、いきなり小柄な男が表れて、「炯々と輝く灰色の瞳で私を見つめて」って書くわけですよ。ありえねえだろそれって。普通。テンション高い男だからびびったのは事実だと思いますけれど。いきなり遭遇はしたくないね。とにかくそういう、あるノリみたいな奴ってのを非常に的確につかまえている。ある歴史上のナポレオンの幻想みたいな物、あるいはナポレオンの生身ではなくて、政治的な存在としてのナポレオンの側面と言う奴を、この瞬間においてきちっと捉えている。そういう意味では良くできた、非常に良い絵画ではあるんですよ。

「歴史」というのは、あくまで人間が人間の行為として行なっていくその積み重ねの中で出来ているという認識が、この絵画の中には表われている

 なんの話をしようかと言うとね、この絵画のあり方っていうのが、例えばさ、こういう絵画のあり方と全然違うでしょって話です。

これはベラスケスの『ブレダ開城』という奴です。で、これはベラスケスの絵画としても、そういう種類の物だと言われている。ごめんなさい、どういう戦争のどの場面だったかというのは、私は細かいことが言えないんで、いい加減になると悪いから、とりあえずパスしておきますけれど、とにかくそこのお城の司令官が包囲側に対して、城を明け渡す象徴として城門の鍵を持って出てくる。これは、普通は非常に屈辱的なものとして演じられるべき場面なわけです。
 素町人でもそういう目に遭うことがありまして、ロダン『カレーの市民』という彫像が、上野の西武美術館の所にあるでしょう?首に縄を巻いて、こうやっている。複数の。あれはその町の市民が、包囲軍に対して、自分たちの事を殺しても構わないからという意味で、首に縄を巻いて、シャツだけで出て行くっていう、そういう非常に屈辱的な敗北の場面を描いた物なんですけれど。ところがその時に包囲側の司令官が、なんと馬から下りて、相手の苦労をねぎらった。実際にそういう事件があったらしいです。どのぐらい事実なのかっていう問題は、調べていただくとしまして、その場面を、わざわざ書くわけです。そこには極めて古典的な意味での、この時代でさえ現実味はほとんどなくなったであろう、ある騎士道精神の生き残りみたいなものがあって、それは非常にリアルな人物像の中にきちんと定着させて、人間の世界の出来事として描いた。
 言っちゃったら、非常に歴史小説的な描き方だというふうに言えないこともありません。ある歴史上の出来事というのを、あくまで人間の世界の出来事に対してきちんと翻訳して、そしてそれが持っている非常に大きな意味そのもの、歴史的に大きな意味でもあり、そして人間の行為として大きな意味でもあるということですけれど、その意味というものを損なわないままに、人間の行為として画面に定着させるという努力がここでは払われている。
 そして、当然のことながら、そこに反映してくる歴史観というものも、お分かりだと思います。つまり、「歴史」というのは、あくまで人間が人間の行為として行なっていくその積み重ねの中で出来ているという認識が、この絵画の中には表われている。どこにも人間自身の力において、大きな所というのは何もなくて、ただそういう小さい人間としてのほんの小さな気持ち、ほんの小さな心遣いみたいなものがこういう場面を出現させるのだいう驚きだ、と言ってしまったらちょっと文学的すぎるわけですけれども。
 ただ、何にしても上手いですよ。この後ろの方の空気の描き方とか遠景の物の見え方とかも凄いでしょう。そういう空を背景にした、手前の方の、全体に黒めに描いてある人間達の衣装。それから、この白ね。この白が凄い効いてるんだ。全体に。しょうがないですよね。ベラスケス上手いから。

ナポレオンは、いかなる意味でも、勝利の女神の存在を必要としていないという事

 もっとどうしようもない例というのを上げますと、これはこんな絵を描かせなければ、もっといいのにということを前提にして言いますけれど。


これも、事実上は同じような場面を本当は描いている。ごめんね。ど忘れしているけれど、この絵の感じはルーベンスだと思うよ。メモとっときゃ良かったんだけれど、ルーベンス好きじゃないんだよね。
 ルーベンスには致命的な欠点があって、好きでもないくせに、寓意を多用しすぎるんですよね。寓意が面白い時期と面白くなくなっちゃう歴史上の時期というのがあって、明らかに面白くなくなっちゃった時期に属しているのがルーベンスです。面白くなくなっちゃうっていうのは、例えばルネサンスの初期、中世末期からルネサンス初期にかけての寓意像の展開というのは、物凄く面白いものがあって、どう面白いのかって言うと、頭の中で、どんどんどんどん拡大されていっちゃうのね。フォルトゥーナに関して扱った美術史の専門の研究所が一冊あるくらいです。つまり、フォルトゥーナ(Fortuna)というのは、「運命」ですよね。その運命の女神を、絵画の中に、あるいは詩の中に定着させるときに何をあれするのかって言うと、頭の中で考えるわけです。
 運命というのは、ようするにぐるぐる回る物だ。だから車輪を描けば運命になる。これはタロットカードなんかで皆さんおなじみだと思います。上に上がったり下に下がったりする。その上に上がったり下に下がったりする車輪のイメージを描くにはどうすればいいのか。あるいは、よくシャボン玉で、もっとリアリスティックに見えて、実は寓意的な意味が入っているんだよという絵では、シャボン玉として描かれることがある。つまり、ふうーっと膨らんでいって、きらきら輝いて美しいのに、次の瞬間にはパンと壊れてしまう。しかも丸い。これはくるくる回るという機能をそのまま引っ張ってくるわけです。あるいは。
 というふうに、多分描いた奴、作っている人間が、そういう自分の解釈によってどんどんどんどん変えていった瞬間というのがありまして、その瞬間というのは、物凄く寓意画って面白いんですよ。それは見てて面白いというのは何かというと、こっちもそういう意味解きの、謎解きゲームみたいなのに参加している事になっちゃうから。美術史における、私なんかはそういうのを基本にして美術史教育を受けましたけれど、イコノロジーというのは、基本的にそれを読み解くために発達した学問だと言って良いと思います。図像の例としてどんな物があるのか。だからこれとこれとこれを組み合わせたらこういう意味になって、でこれを今までこれこれだと考えられていたが、実はそうじゃなくてこうだみたいな読みをやる奴ね。
 ところがルーベンスの時代くらいになって来ちゃうと、ある程度、それが煮詰まってきちゃう。で、もう決まりが出来ちゃって、こういうふうに描けばようするにこれの寓意というのが決まって来ちゃう。にもかかわらず、員数だけ増やすためにどんどんそういうものをあれするんで、非常に虚しい寓意が多くなるのが、この時期以降のヨーロッパの絵画における寓意で、ほとんど意味はないんですけれどね。
 これはその城を占領した後の、ここに堡塁が見えますよね。とんがった。この包囲線において、勝利をした君主をこういう形でもってあれしています。きちんと調べてきてないし、今更あれする気もないですけれど。今更そんな学生みたいな行為に没頭する気はないんで、やって欲しいと思いますけれど、まあ間違いなくその羽のある人物が手に持っているのは月桂樹の冠で、こちらの人物も多分何かの寓意的な人物なんだと思います。そしてその二つの、言っちゃったら人間的ではない、ある神話的な物。ある何か神的な力というのが、彼女のことをこういう形で後ろから支えて祝福する事によって、彼女は勝利をおさめた君主である姿というのをこういう形で描いている。
 さっきの『ブレダ開城』なんかと非常に対照的な形になります。『ブレダ開城』というのはあくまで人間の世界の話でした。ここではある神話的な物というのが介入してくる。ただし一つだけ、全然決定的にさっきのアルプス越えのナポレオンなんかと違うところがあって、これ雰囲気だけで分かると思いますよ。つまり、この絵の持っている、あるきちんと安定した、馬にのった女性の姿勢一つからとっても、物凄くある安定した状態というのが分かりますよね。多分彼女自身の運命というものがどういう風に変わっていくとしても、とにかく彼女の君主としての正当性その物はまったく揺らぐことがないという、ある状況において、彼女はここに立って、このようなポーズをして、このように描かれている。
 非常に安定した政治体制みたいなものにおける、この君主の政治的な存在としてのあり方を描いたもの。身体的な存在という物はまだ多分別のところに存在するんですけれどね。それはある神話的な物とつながりを持つ物として描かれるべきだと画家は認識していた。つまり、人間のポジションというのがですね、全然異なるわけですよ。これが例だから、もう一回戻しますね。全然違うでしょう。
 この違いというのはどこから出てくるのかなというと、よく考えて欲しいわけですよ。言っちゃったら、さっき見ていただいたようなベラスケスの『ブレダ開城』、ルーベンスの『ユリエール開城』ですね。
 これは、歴史画における無垢の時代の絵画だというふうに考えていいと思う。つまり、「歴史」という物が、多分今日歴史というときに持っているような、とてつもない意味をまだ持っていなかった。ただ単に、ある為された出来事の堆積としての意味しか持っていなかった。そしてその中で、人間が不幸になったり幸福になったりする、その状況みたいなものにおいて、我々は何を為すべきかみたいな思考しかされていなかった、そういう時代がかつて存在したと思ってください。さっきの『ユリエール開城』の方に関して言うと、王の政治的な存在のエピファニーというふうに考えていいと思います。そういう意味では、これも政治的な存在としてのナポレオンのエピファニーであるわけですけれど、決定的に違うところがある。
 ナポレオンは、いかなる意味でも、勝利の女神の存在を必要としていないという事。そう考えると、さっきのアングルのナポレオンというのが、どのぐらい保守的なものというか、あるいは頑固に昔の形を守ろうとしているかということが分かると思います。ナポレオンは、そういう種類の寓意的な人物を、自分のことを対象とする、あるいは自分の治世を対象とする絵の中に描き込まれると凄く嫌うんです。何故だと思いますか。ナポレオンはそんなもの必要としないから。だって俺は俺だもん。だって俺ってナポレオンだし。簡単に言っちゃうと。だって俺ってナポレオンだし、別に月桂樹の冠なんか持って貰わなくても俺は勝てるもんねっていう話になっちゃうわけですよ。つまりそこには寓意的な人物もいないし、神もいない。つまりさっきの『ユリエール開城』みたいなものをあくまで念頭に置いて欲しいんですが、あるいはベラスケスでもいいんですけれども、あくまで人間のあるあり方、というか歴史というのは人間と人間とのある非常に偶発的な絡み合いの中で生まれてくる物であった。あるいは、もっとそれはバロック的な発想だと思うんですが、寓意によって表される、ある神秘的な状況みたいな物によって、超自然的な物によって、王の政治的な存在というのが荘厳されていく、飾られているというふうに考えられる。
 極端な話言っちゃうと、あれを例外にすると、もう一回それを見なきゃいけないからやめようと思って、時間がないから、忙しいからやめようと思って見なかったんだけれど、見ておけばよかったですね。モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』という曲がありまして、凄い好き。ジャン・ピエール・ポネルの演出による録画を持っているんですけれど、録画というか、あれはビデオ用に編集した奴を録画した奴で、それが最高に素敵で、つまりポッペアを女房にしたいネロが、妻のことを殺すという話で、簡単に言っちゃうとそうなんですけれど。
 ネロのね、右と左からね、良い心と悪い心がささやいたりするんだよ。最高でしょ。この場合における人間の尊厳てどうなってると思うって考えたら、ネロだから、いいんだけれど。つまり、俺じゃなくて俺の耳にささやくものがいたんだ、それは病気なんだけれど、完全に自己のあり方に対する責任を放棄している、ある姿勢なわけですけれど、ユリエールも、言ってしまったらそういう種類の物なんですよ。私は確かに君主としてここに立っています。だけど、それは私が一人でやったことではない。そこの背景には、様々な寓意的な人物を描いてもらえる私の王としての権威が存在しているから。そういう自覚が存在する。逆に言っちゃうと、あの衣装を着て、あの人物二人を横に侍らせる事ができたら、彼女じゃなくて、誰でもユリエールの騎馬像のあの人物にはなれると言う話です。人間というものの位置が割合低い。そして、ブレダの場合なんか、そのあくまで低い位置における人間のある高貴な行為みたいなものを描く物だとしても、人間の力というのはそれほど大きい物では当時なかった。
 これは違うでしょう?明らかに。で、なんでかって言うとさ、言っちゃうと、ここではじめてある「歴史」という考え方に対する、とてつもない転換が起こっていると思うんですよ。ここでもって、彼は自分が「歴史」を体現する男になっちゃった。だからナポレオンは別に何もいらないんです。怪しげな寓意的な神々なんか後ろに控えさせる必要は全くない。なぜならば、俺が世界精神だから。彼がそう思ったかどうかは別ですけれどね。ナポレオンのことを見てそう思った奴が、確かに一人はいたんですよ。当時の、最盛期のナポレオンの雰囲気としてはそうだろうと思います。それは本当なんです。
 この話はまだしてないよね。1797年かな。フランスと同盟国側が、革命戦争の決着をつけるための和平会談をやった。その時にメッテルニヒは親父の尻にくっついて、一応現場まで行ってるんですよ。その時にメッテルニヒがね、家に向かっていっぱい手紙を書くんですよ。結婚したばかりですから。その結婚したばかりに向かって書くのね。ナポレオンが来るって言ってたけど本当かな?凄い。ナポレオンて、現物見たらどんな人なんだろう?ってね。今日もナポレオン来るのかなって、ナポレオンの事ばっかり書いてるのね。
 そのぐらい、ナポレオンの存在のインパクトというのは、敵方にとっても――というか、この時のメッテルニヒってナポレオンというかフランス革命戦争で、家を追っ払われて難民状態ですから。でも、それでも、そういうある種の微妙な憧れはあった。そして現物と遭遇した後も、実はそれほど幻滅はしてない。むしろ、実を言うとメッテルニヒはナポレオンを好きな男でして。
 何故かというと、聞いたことの無いような下品なしゃべり方をするのがすげえ面白い。そしてその下品なしゃべり方で、ぽんつくぽんつくなんだか、どんどん連想ゲーム式に言うのが面白い。「閣下、ドイツでの戦役はいかがでございましたか」「いやあ、あんなところ、えもんかけとキャベツしかねえ」ってこれ事実ですよ。「そのキャベツって、かたすぎてすぐ食えねえんだ。外で凍らせてから溶かして食うんだよ。ひっでえところだ。俺なんであんなところの為に、兵隊連れてわざわざ出かけていったか、このくそ寒いのに」って喋るわけ。ナポレオンは。本当に。メッテルニヒが記録している所によると。それで、メッテルニヒはそれを口開けて見て「すっげえおもしれえ」と思うわけ。こいつ最高って思う。
 で、見てると、明らかに非常に頭良いと思う。だから、メッテルニヒがずっと政治的決断の理想的な形として考えたのは実はナポレオンで、それは何かというと、アウステルリッツだったかな。昔の映画の中でもありますが、ナポレオンが風呂入ってるんですよ。で、ある問題について、戦争にするのかしないのかという話をするために元帥がだーっと風呂桶の周りに固まっている。で、元帥どもが喧嘩をするの。勝手に。主戦派と、反戦派に分かれて。ぎゃーっと喋ってると、ナポレオンはずっと風呂につかってまして、そしていきなりざーっとあがって、「お前らもう良い。下がれ」って言って。それで、その時にはもう決めてるんだよ。勝手に。話はしない。みんなに話をさせる。それを全部聞く。で、決断は一人でやる。だからメッテルニヒの不安というのは、フランツ一世はどうしてそういうふうにしてくれないのか。どうして誰かに一々話を聞いて、そこのところで誰と誰とのやりとりで三人で三角で話をしないと、右行ったり左行ったり話を決められない。お前一人で決めろっていう。俺たちは何でも好きなことを言うから、お前一人で決めろって思っているわけですよ。簡単にいっちゃうとね。とにかく本人のそういう性格という問題もありますけれど、ただ、そういう状況の中で、ある神話的人物にこの人はなっちゃった。で、一番問題なのが、ようするにそれが顔の剥奪という問題に繋がってくるんだけれど、つまり、ナポレオンがさっきのああであるのはいいでしょう?それはいいんですけれどね。

 一兵卒までこうなってくるというのはどういう事?
 これはジェリコですけれどね。これは本当にこういう時代なんです。こういう瞬間というのがあった。実際にナポレオンにくっついて戦争していた事のある、ある人物は、とにかくある時期までのナポレオンの軍隊に関して、ナポレオンの軍隊として出かけていって戦争をするという事に関して、何か後光に包まれて進んでるような感じがしたという風に言っている。あり得ないと思うんだけれどね。本当は。実際に彼がその場で経験してる事の数々というのを考えれば。でも本当にそんな感じがしたらしいんですよ。その瞬間において、ナポレオン自身が歴史の体現をしているだけじゃなくて、一人一人の一兵卒までが、これは将校ですが、そういう人物までが、歴史の体現者として我らがナポレオンの横に従って、光の中に包まれて進軍しているような感じがする。その瞬間の事を想像して欲しいわけですよ。

「歴史」による顔の剥奪

 それで、これを我々は十九世紀以降「歴史」と言ってきた。私はさっきからかぎかっこで「歴史」「歴史」と言っている。かぎかっこをつけて「歴史」と言っているのは、この「歴史」のことです。この「歴史」の概念というのが、我々の中でなんとなく今でも生き残っているし、そしてむしろ積極的にもう一度あの「歴史」を生きさせてくれというような種類の人間というのが、既にナポレオンが死んだ後で何十年経っても百年経っても出てき続けている。その問題というのを考えて欲しい。その時に、今日私がそこまで言おうと思っていたのは何かと言うと、その時に個人、個々の人間の顔というのはどうなっちゃっているのという事。
 それで話は元の所に戻って来ちゃうわけです。元の所に戻ってくるついでに、これをあれしちゃうんです。実を言うと、よくよく考えるとそう酷く悪い絵だとは思わないよ。でもね、これですよ。

民衆を導く自由の女神』ね。
まったくじんえん(陣営?人影?)は必ずしも同一ではないと言っておきますけれど、さっき言った、光に包まれて進んでいるような気がするというふうに言った、あの歴史の雰囲気というのは、まさにここでも生き残っているという、その事を見て欲しい。これなんですよ。言っちゃったら。これは近代における「歴史」という概念であり、そして私は「歴史」と共にあると考える人間が感じるものというのがこれだというんです。
 例えばこの人物。いやよく描けてますよ。すごくこういう種類のこういう人物のこういう時の顔、そしてきちんと考えて描いてありましてね、明らかにある程度以上の資産を持った、中産階級以上の人間であろうというのと、それから、ひげを剃るという習慣さえない男という奴が肩を並べて戦っている。そしてその時に、相互の間の浮かべている表情には、ほとんど普段存在したであろうような違いさえなくなっている。この瞬間というのが、つまり革命でして。
 革命好きな奴って言うのは、革命なんかしたってなんにも良いことないじゃん。人が死ぬだけだからやめようよと言うと、いやいや、やっぱりこれがねと言うわけ。これたまんないからっていう。ずっと私、しばらく事情がありまして、ジジェクアラン・バディウを読んでいるんだけれど、彼らがようするにね、人が死ぬからとかっていうのはけしからんて言って、後ろ向きな姿勢になるのはけしからん、それは良くないって言うときに、じゃああんた何するのっていうと、どうもこれがしたいとしか思えないのよ。そこが彼ら、非常に**綺麗な文章を書くんだけれど、なんか微妙に肯んじがたいようなところがあるんですよ。
 だから、ここから先の歴史というのは何があると言うと、右へ行っちゃうと、例えば唯一にして絶対の、ある完成された完璧な形を持っていて、そこには一筋の瑕瑾さえ存在しない国民の歴史という奴。そして国民の歴史の中で我々はこのように歩んでいるんで、この問題についてけちをつける奴は俺は許さんという奴が必ず出てくるわけですが。あるいは、左側に行っちゃった場合には――お分かりでしょう?世界史の必然的な展開として我々は今革命の先頭に立っているという左翼的な主張ではあるわけです。どっちも完璧にこの文脈の中に入っちゃう。
 いや、これを見ている限りにおいては、我々はなんともない。別にあくまで自由のために民衆が立ち上がって戦っている。ナイスじゃん。全然問題ないじゃんと思うかも知れないんですが、私が言いたいのはそうじゃなくって、この絵画というのが、言っちゃったら、見ていただきましたけれど、エイゼンシュタインプロパガンダ映画と、それから見ていただいた『意志の勝利』(youtube)における人間の顔というのと、いかに近い場所にあるか。というよりは、全く同じ文脈にあるということを認識して貰いたいなと思います。そこで個別の人間が持っている個別の歴史という奴は剥奪されて、もっと大きな国民の歴史とか、あるいは歴史の必然みたいな物の中に組み込まれちゃって、それぞれの人間の偶然の顔というのが、あくまで偶発的な、無視しうる範囲の物でしかなくなってしまう。それがようするに、私が言っているところの「歴史」による顔の剥奪という奴です。

「世界初のCNN絵画」


 これも見ておきましょうと言うことで、『キオス島の虐殺』。これも凄くいい絵なんです。ただね、やっぱりこれを今日見るときに、頭の中で、つまり逆に言っちゃうとドラクロワというのがいかに今日的な画家だったのかという話になっちゃうんですけれどね、「世界初のCNN絵画」という言葉が頭の中に浮かぶんだよ。全くこういう種類のさ、虐殺とかさ、圧政とかさ、まあ圧政は少しあるというふうに主張する人は一部にいるわけだけれど、いきなり人が死ぬような圧政とかいうのはないような状況の中でさ、脳天気に暮らしているようなフランス人がさ、ギリシャでもってトルコ人ギリシャ人を虐殺したそうだって聞いて、うぬおのれくそ、って言ってこういうふうに描くわけです。
 あるいは、どのぐらいインパクトのある出来事であったのかって言うと、例えばバイロンギリシャ独立戦争のためにわざわざギリシャくんだりまで出かけていって、そこで病気になってお腹を壊して死んじゃったわけ。確かお腹壊して死んだんだよな。やめときゃいいのにね。それはいいんですけれど、それ、実は何の過程の中で起こった出来事なのかって考えるのは、彼らの頭の中には、完全になくなっている。つまり、ここで苦しんでこういうような酷い目に遭わされている人々がいる、この人達を救わなければならないっていう、あるメッセージ性みたいなものを込めて言っている。だから、ある意味凄く象徴的なのは、この後ろの空なんですよ。
 これ、ちょっと暗いんですけれどね、確か今洗って綺麗になっていると思いますけれど、凄く明るいブルーをね、ドラクロワは後で入れたと言われています。ターナーの絵を見て、それを見て感動して入れたんだと言われています(ジョン・コンスタブルと勘違いの可能性あり)。その前は、もっと暗雲立ちこめていたらしいと言われています。というか、まあ、美術史というのもねえ、私が色々うちゃくちゃうろうろしてた頃から随分変わっちゃった可能性があるんで、その辺の所、確約はしませんが、ただもしそうなんだとすると、それは凄く象徴的だと思うんですよ。
 つまり、これが行なわれているこの場所の事を考えたときに、空はあくまで青く澄み渡っていなければならないとドラクロワが考える、その瞬間というのを考えると、それは画家の本能としては凄く正しいんだけれど、ある意味でとてもぞっとすることだと思います。あくまで美的なある判断に基づいて、空の色というのは黒ずんでいて、この瞬間の空というのは、ある透明な青さを湛えていなければならないと考えるんだよ。ここで、この状態でだよ。ちょっと、それかなり嫌な感じがする出来事ですよ。
 ましてあなた、特にこれをみると嫌なんですよね。子供がさ、死んだ母親の胸にむしゃぶりついてさ、お腹すかせてさ、こういう奴。他の所から引用されているのはいっぱいあります。このポーズの人物というのは別の絵画で老婆ではなくて若い娘でしたけれど、ドラクロワ描いたことありますし、この後ろの方でもって、騎兵に引きずられている全裸の女というのは、『サルダナパルの死』の中に出てくる人物です。それからこの赤ん坊のポーズというのは、ドラクロワメディアを描いた絵画の中で見られるポーズ。ある意味で非常に混成された物ではあるわけですけれども。
 何よりも凄くCNNだと私が言うのは、その空なんですよ。何故空を青く澄んだものにしなければならないのか。その時に、ドラクロワ自身の視点というのは、もしかすると空の方に凄く固着されていて、実際にここでもって這い擦っている人間の水準には全然ないんじゃないのというふうに考えられる。ここで這い擦っている水準にないということは、当然のことながら、この偶発的な出来事とギリシャ独立運動というもの、これの背景から、これがイギリスとロシアによるオスマントルコの分割の一環として起こった出来事だという認識はすこーんと綺麗にぬぐい去って存在しているということです。この話をするとまた長くなるからそれはカットね。
 だけど実際問題として、オスマントルコ、いつ解体するかというのは、ナポレオン時代から既に秒読みに入ってました。その一番あれとして、イギリスがギリシャを強烈に欲しがっていて、その問題に対してロシアがひどく過敏になっていたという問題もあります。最終的な決着として、ギリシャは独立させて、確か君主としてロシア皇帝の身内を入れたんじゃなかったっけ。この時色々な話が出てきて、だからメッテルニヒギリシャの独立に無茶苦茶反対したのは、アンチリベラルだからじゃなくて、そこまでロシアの影響が及ぶのは堪忍と思ったからだっていう、非常に具体的な、それこそ地べた這い擦った理由があるわけですが、そんなものは全部カットしている。もっとはるかに高い、自動的な水準という物に視点があって、そしてだからそれは青く澄み渡って全ての物が見渡せるようなそういう空じゃなきゃなんないと、この絵画を読み取ることができるんですよ。ある凄くやばい、いや、ドラクロワは微妙ないいやばさを持ってて、そのやばさがよく出ているケースはままあるんですけれどね。
 ドラクロワはアルジェニアにある政治的な人と一緒に出かけていったことがありまして、それでその時にかなりの数のスケッチを残してます。本当はこっちじゃなくって、ドラクロワがその時に現地のベルベル人の男達の事を描いたデッサンというのは見て欲しいです(参考?)。いかにそこでもってドラクロワがさ、なんか自分たちが属している文明から解放されたところにさ、真のとてつもなくマッチョな男らしさみたいなものを見て、その格好よさに胸打ち振るわせたかというのは、そのデッサンを見ると非常にビンビン伝わってくるんですよ。それに対抗する形で描いたのが、女達はこうであるという、この姿なわけ。言っちゃったら、ドラクロワの内側にある、どうしようもなく存在している植民地主義みたいな奴を炙り出してくる、ある装置になっている。ただ、言っちゃうと、それは絵画としての値打ちというのとは全く別な事であるわけですけれど。
 ドラクロワ植民地主義(参考1:アルジェの女 参考2:モロッコのスルタン)というのはそういう種類の物で、ある自己投影みたいな形で、ある男と女のイメージみたいなものを描いている。あるいは残虐さみたいなものと、男らしさが全くなんの遠慮することもなく一致をしている瞬間みたいなものを、超かっこええと思って描くというような所はあるわけですが、それはオルセー美術館の展覧会が来たときにさ、ポスターでもってさ、刀を抜いている黒人のポスター使ったというのを覚えてないかな。あの絵はねえ、オルセーにもありますが、私もしかするとあれはオルセーで一番格好いい絵じゃないかなと。物凄いしびれます。しびれるけれど、でもこういう物を描くのは政治的に正しくないよね、今日的には、という気もします。
 つまりそれはどのぐらい格好いいのかというと、所謂ギャングスタの兄さんがね、むかついたんで、手下の事をこうやってガーンと撃ち殺した瞬間みたいなのをあおりで撮った映画の映像みたいな、あるすんごい扇情的なかっこよさがあるんですよ。ああ、こういうものっていつの時代も変わりはないんだなと思いました。

で、これはちょっとまた別の種類のある傾向を持っている絵画であるわけです。さっきの背中フェチの絵ってこれね。この背中とそっくりな絵を別に、もっと若い頃に描いているの知っているでしょう。で、これ、アングルがこれを描くためにあれしたデッサンというのがあるんですよ。
 ドラクロワの植民地というのが、そういう形で自己投影してったり、自分のことをふっと中に浮かべた形で見て、それで、ある見下ろす形でこんな生活をしている人たちがいるのか、格好いい、これこそ人間の真のあり方だ、とかこそこそ考えているのと違って、アングルはもっとオタクなんです。
 どうするかっていうと、世界中の色んな裸の女の図版を集めてくるんです。で、色んな裸の図版の――いや、それデッサンで残っているんですよ。色んなところから写した奴が。で、描いて描いて描きまくるのね。そうすると、女性の裸体の描き方、世界的に凄い色んな裸が存在するじゃん。その裸を、どうも違いがね、その裸の微妙な違いみたいな物まで含めて全部ここにコレクションしてるんですよ。彼は。女体の楽園なんです。そういう意味では。世界中の女をこの額の中に一枚、明らかにちょっとアジア系の顔をした女性がちょっと描いてあったりするんだけれど。
 一番はっきりしているのはこれね。手前の、ちょっと非常に良く、だってこれ明らかにさ、ヨーロッパ的な意味でのさ、女性の肉体がさ、観念からかけ離れた肉体じゃない。これが出典が確か、エローラの石窟寺院のね、なんかインドのあれなんですよ。それを要するに、買ってひいてきて、他にもイメージの影響あると聞いていますけれど、それをある程度彼の持っている、ヨーロッパ絵画の描き方に組み込める形に直して直して直していってここに描いている。おそろしい奴なんですよ。この傾向というのも凄くいっぱいありまして、論文書こうと思って書き損ねて卒業しちゃったんだけれど、ギュスターヴ・モローがですね、デッサンをね、普段から常日頃からあいつは山のようにそういうものをデッサンしてるんですよ。で、すんごい都合がいいことに、当時はそういう種類の物ばかり集めて編集して、毎号だしている雑誌というのがあった。これはギュスターヴ・モローも見てるし、フロベールも見てるんですよ。確かに。フロベールはそういう種類のエキゾチックな物みたいな物をやたらといっぱいコレクションしてて、自分の心の中でもってあふれかえってどうしようもなくなると、『聖アントワーヌの誘惑』など書くわけです。だから、そういう意味では、これと特にギュスターヴ・モローフロベールのその辺のそういう瞬間における発想の近さみたいなものというのは、ヨーロッパ絵画におけるコロニアリズムの問題を考える時に、多分ちょっとはずせない問題になってくるんだろうとは思うんですけれどね。
 いや、一応難しい理屈をここにも付けようかと考えていたんですが、見ていると考える気にもなれないです。素晴らしくて。この絵は私本当に凄い好きです。ちなみにこれ、ハレムじゃなくて、普通のハマームだという説がこの間出ていたなんか。よく考えてみると、確かにハレムってさ、大奥みたいな所だから、こんなにのうのうと女どもが仲良しできるわけがなくて、普通の、近所のハマームだと考えた方が、納得がいく話ではあるんですけれどね。
 次、秋ぐらいにそういう形でもって、かぎかっこの「歴史」に対して、歴史によって顔が剥奪されてしまうという話から、そういう歴史というのと、個々の人間のあり方、積み重ねてきたものとの関係がどうなるかという話をちょっとしていこうと思っています。もし、皆さんがお時間がいっぱいあって、お暇でしたら、夏休みの間に、どこまで触れるか分からないですけれど、ブローデルの『地中海』を読んでおいてください。読んで損ということは絶対にない本ですから。多分どこの図書館にもありますし。



講師:佐藤亜紀

原稿起こし:ぷりぷりざえもん
資料収集:Ooh

2008.6.14 明治大学にて行われた講義より。

※この原稿は、講師のチェックを受けていません。ぷりぷりざえもんが許可を得て個人的に録音し原稿に起こしたものです。

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