平野啓一郎『日蝕』は佐藤亜紀『鏡の影』のぱくりか?――2ちゃんねるにおける考察より――[1]
この記事をご覧になる前に、お二人の見解と当該の両作品をお読みください。
web2.0的世界において、「名誉」を守るということについて(平野啓一郎)
――――――――――――――――――――――
以下は
佐藤亜紀氏「平野啓一郎氏盗作疑惑」の真相
http://ooarikuifc.web.fc2.com/2chlog/1191516240.htm
から、投稿を抜粋した物です。
304 :castle:2007/10/11(木) 14:57:02
また、日蝕の文学的価値はともかく、あれは鏡の影をぱくったものではない。
自分で書いてみれば理解するだろうが、プロットを他人に読ませられる水準で
破綻なく統御するのは至難の技なのだ。稀にプロットやそれに類するものが
多重になっている作品があるが、それらはたいてい傑作だ。
日蝕の四重構造はそう簡単には作れないのだ。動かせない制約によって幾重にも
縛られているからだ。全く帰納的にしか作れない種類の作品で(平野作品には多い)、
字面だけ見ている読者にはわからんだろうが、他からぱくって演繹的に進めていく
ことなど物理的に無理なのだ。池澤夏樹も「知的に構築されている」と感嘆したろう。
識者は精巧なボトルシップを見る思いだったはずだ。
307 :みちるの友:2007/10/11(木) 15:22:40
はてさて四重構造とは? アレクサンドリア四十層みたいなもんですかね(笑)
プロットが多重というのも良くわかりませんねぇ(笑)そもそも貴殿にとってのプロットとは何かを説明してもらわなければ。
309 :吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 17:31:48
>>303
確かに君が述べているのは意見に過ぎないな。
平野は無罪を証明できていない。
「読んでいないし読む気もない」と駄々を捏ねているだけだ。
一度は見逃してくれた以上、最後まで見逃してくれると
佐藤に甘えているだけなんじゃないか。
一方で状況証拠は多い。
新潮社の対応、文壇の不可解な放置、
何より平野の作品の不出来。
君が貼り付けたリンク先を読む限りでは
佐藤に謝罪の理由など全くない。
何しろ平野も新潮社も「やっていない」と口で言うだけだ。
それを信じるか否かは、平野や新潮社が信頼に値するか否か次第。
佐藤に対しては両者とも信頼回復のアプローチは全く取っていない。
とすれば平野の主張を信じる理由は皆無だ。
310 :吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 17:36:27
>>304
悪いがその四重構造とやらははじめて聞いた。
「プロットを破綻なく制御するのは至難の業」というが
小説家にとっては当り前のことだろう。
とすればその四重構造とやらは余程のものなのだろうな。
是非どういうことか説明してくれないか。
314 :吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 18:04:00
「物理的に無理」にはわろたよ。
「識者は精巧なボトルシップを見る思いだったはずだ」にも。
普通は悪口だもんな。
もしかしてカストリって日本語が不自由?
354 :309:2007/10/12(金) 16:05:43
あと例の四重構造の解説頼むわ。
インタビューにあったやつだよな。
夏休みの間に神学大全読破したとかいう与太と
ごっちゃになって忘れたからな。
あんたが言うような「精緻」なもんじゃなかったと思うよ。
361 :309:2007/10/12(金) 16:37:14
358よ
城のおっさんがそう言ってるんだよ。
「日蝕」には四重の層があって、
プロットが多層になってる作品には傑作が多いんだとさ。
>>304
日蝕の四重構造はそう簡単には作れないのだ。動かせない制約によって幾重にも
縛られているからだ。全く帰納的にしか作れない種類の作品で(平野作品には多い)、
字面だけ見ている読者にはわからんだろうが、他からぱくって演繹的に進めていく
ことなど物理的に無理なのだ。
帰納的な制作と演繹的な制作って具体的に何よ、とか
物理的に無理ってどうよ、とかは
おっさんに聞いてくれ。
逃げてなければそのうち来るから。
364 :309:2007/10/12(金) 20:45:58
来ないってことは負けたってことだ。
例の四重構造な、見付けたけど
あんまりしょぼいんでワロタよ。
幼児雑誌のフロク並みの精緻さだ。
城が来ないんならおれが解説入りでうpしてやるさ。
今日は飲みに行くんでまた明日な。
415 :みちるの友:2007/10/13(土) 16:57:03
四重構造講義はまだですかね〜(笑)
416 :吾輩は名無しである:2007/10/13(土) 21:24:58
飲み会に行ったおっさんまだ帰らないのかw
417 :吾輩は名無しである:2007/10/13(土) 22:08:22
309、見てるけど書けないのかなwww
418 :吾輩は名無しである:2007/10/13(土) 22:35:18
309よ、どうした? へたれたか。
実は「幼児雑誌のフロク並み」だと思っていたものが城の言う瓶詰めシップである事に気付き、愕然として平野信者化してたりなwwwwwwwww
419 :吾輩は名無しである:2007/10/13(土) 22:50:27
いや、点呼取ってただけだよ。
城が帰って来るのを待ってたんだが、時間切れだ。
「日蝕」の四重構造だっけな。
wをいくつ付けても足りないくらいのありがたいお言葉だ。
よく読んで覚えておいてくれよ。
平野 一つは、表面に流れているプロットです。二つ目は、中世のスコ
ラ哲学からルネッサンスへの転換期の何十年かにわたる思想的な流れ
を、主人公の個人的な体験の中に象徴的に経験されていることがある。
三つ目は、錬金術そのものを、テキスト全体を通して展開している。も
う一つは、ベースとしてギリシャ神話があるんです。ユスタスという村
の司祭は、キリスト教的な社会の中で徹底的におとしめられ、衰弱した
ディオニュソスなんです。その他の人物達も、ギリシャ神話の衰弱した
神々なのです。
拍子抜け、というのが普通の反応だろうな。
420 :309:2007/10/13(土) 22:51:02
>>304
日蝕の四重構造はそう簡単には作れないのだ。動かせない制約によって幾重にも
縛られているからだ。全く帰納的にしか作れない種類の作品で(平野作品には多い)、
字面だけ見ている読者にはわからんだろうが、他からぱくって演繹的に進めていく
ことなど物理的に無理なのだ。
だそうだが、おれはそっくり同じ構造の小説を知ってるよ。
『鏡の影』だ。あれもやっぱり
表面に流れているプロット
舞台となる時代の思想史を主人公がリアル体験
テキスト全体を通して展開する秘義
ギリシャ神話の神々=教会から見た場合の悪魔との駆け引き
の四層を備えている。知らなかったか?
知らなかったなら『日蝕』はパクリじゃないなんて言えないよな。
それとも字面だけ見ていたかwwwwwww
421 :309:2007/10/13(土) 22:52:06
まあそういう訳で、平野が得意顔で威張った四重構造も
佐藤からのパクリと言えないことはない。
ここに「表面に流れているプロット」がほとんど同じ、を加えると、
ほぼ間違いなくパクリ、になる。
「日蝕」と「鏡の影」が「全く似ていない」のは
佐藤が加えていたひねりを平野が理解できずにはずしたからだ。
佐藤は平野が逃げた宗教改革の暗黒面を嗤いのめし
ルネサンスの思想的冒険が無残な失敗に終るまでを
カーニバル的な奪冠を通して書いた。
どちらが小説としてよりいいかは言うまでもないよな。
437 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 02:08:10
>>420
それ苦しくない?
その書き方ならどの小説も四層にできるじゃん
438 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 02:15:38
四層全部が同じというのはなかなかない。
あるなら例をあげてみろ。
439 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 02:21:41
>>438
どれも同じじゃないでしょ?
近い世界だけど、まず表面のプロットは違うよね
他のみっつの内容も違くて、結局同じ箇所がないなら
なんでパクリになるの???四重だから?
440 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 02:36:51
たとえばだけど、、、その書き方(村上龍・限りなく透明〜)編
表面に流れているプロット
舞台となる時代の若者思想を主人公がリアル体験
テキスト全体を通して展開する秘義(疑似薬物体験)
ギリシャ神話の神々=主人公リュウから見た場合の女たちとの駆け引き
442 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 02:45:20
たとえばだけど、、、その書き方(村上春樹・風の歌〜)編
表面に流れているプロット
舞台となる時代の若者思想を主人公がリアル体験
テキスト全体を通して展開する秘義(疑似喪失体験)
ギリシャ神話の神々=主人公僕から見た場合の鼠との駆け引き
Gauchewwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwwwwww
443 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 02:47:50
たとえばだけど、、、その書き方(綿谷りさ・いんすとーる)編
表面に流れているプロット
舞台となる時代の若者思想を主人公がリアル体験
テキスト全体を通して展開する秘義(疑似ひきこもり体験)
ギリシャ神話の神々=主人公私から見た場合の少年との駆け引き
Gauchewwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwwwwww
445 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 03:03:45
たとえばだけど、、、その書き方(NANA)編
表面に流れているプロット
舞台となる時代の若者思想を主人公がリアル体験
テキスト全体を通して展開する秘義(芸能界)
ギリシャ神話の神々=主人公私から見た場合の周りの人々の愛と悲劇
結論:矢沢あいは佐藤のパクリ
446 :Gauche:2007/10/14(日) 03:11:21
君らは平野氏の四重構造発言がいかに阿呆なことかを、
笑っていることにならないか?
309氏が追い詰められたなんて発想がどこから出てくるんだ。
とにかく「四重構造だから、盗作ではありえない」という
castle君の主張は309氏によって完全に潰されてしまったわけだ。
俺がくやしいがるとしたら獲物を持ってかれたことだろ。
448 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 03:21:36
>>446
いやそうじゃなくて、
いわれてみると日蝕は平野の言う通りガチな4重構造だと思うよ
でも鏡の影は違うんじゃん?てこと
そんな風には作られてないっしょ
だいたいギリシャ神話をベースにして組み立ててないじゃん
それに主人公の話のラインとは別に日蝕の最後は錬金術が成功して
賢者の石ができあがるようなビックリな仕掛けがあるが
鏡の影は秘技の使われる意味が違う
309の人の指摘が間違ってるってことね
451 :Gauche:2007/10/14(日) 03:48:22
結局、「結末が異なるから盗作じゃない」という
今までの主張にもどってしまったな。
452 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 03:55:06
「結末が異なるから」?そんな主張どなたがしてますか?
Gaucheくん得意のズラし作戦かなあ?
454 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 10:00:47
>>448
こんなことまで説明しないといけないとは
お子ちゃまたちも程度が低いな。
「日蝕」がギリシャ神話をベースにしているとは
平野も言っていない。
登場人物を「流刑の神々」に見立てましたと言っているだけ。
そんなことでは「鏡の影」の
「聖なるアグネスよわがために祈れ」が
どこから来ているのかもわからないだろうな。
それとも読んでいないか。
455 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 10:22:00
「鏡の影」も読まずに
「平野さんは盗作なんかしていない!」と
騒いでいるお子ちゃまたち、という構図が
あばかれてしまったな。
火刑=奇跡に至るプロットがほぼ同一ということは
随分前のスレで指摘されたし、
両者がスコラ哲学の末期から、ネオ・プラトニズムを経て
錬金術とカバラに至るルネサンス秘教思想の流れを踏まえていることは
わずかでも知識があれば誰にもわかる。
平野のアンドロギュヌスの火刑と黄金産出に対して
佐藤は処女懐胎を持ってくる。
平野が「流刑の神々」の見立てなら
佐藤はヴェヌスベルク伝説を持って来て
流刑の神々の逆襲として読ませる訳だ。
まあ、ちょっとまじめに考えておいてくれ。
全部同じでも、平野の「日蝕」の価値は変わらないから。
459 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 14:09:40
上のcastle氏のいうことはわかる気がするけどなー
平野氏のいう四つの構造、内容それぞれをきちんと配置すると、
もう文章が決まってくるというか、それこそが日蝕になるね。
それだけでできていて、余分なものがないことがわかるから。
鏡の影読んだけどもっと違う感じだよね。
日蝕みたいに、思想史経験させような意図も(だから説明文も)ないし、
最初から錬金術自体を大きなテーマにしてクッキングブックみたいに、
その材料とか作り方とか丹念に描写して、別プロットで書いてる日蝕とは違って、
処女懐胎は表面のプロットに入るものでしょう。
それに日蝕は一人称だから、別フェーズとしてのプロットを重ねられたけど、
鏡の影の三人称だと、ただの場面展開になってしまうんじゃない?
佐藤氏は四つの構造がありますとか何かで言ってるの?
463 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 15:49:11
たしかに309の発言は間違っていると思うよ。
佐藤亜紀が盗作問題に「比較対照できそうな箇所はありません」と公言してる。
平野啓一郎も指摘してる。そんな無理矢理な構造比較で盗作の証明はできないでしょう。
何より世界は似ているが記述は違うというのは、最も重要かつ決定的な事実で、
作品各々の構造がそれだけ複雑である事実が示すのは、作品固有の組成の強度であり、
なおさら盗作が難しいことの証明にもなる。castleが指摘したのはここでしょう。
486 :309:2007/10/14(日) 23:12:48
解答待ちの質問は二つだけか。
お前らも健康的な日曜日を送って来たらしいな。
結構結構。
>>459
上のcastle氏のいうことはわかる気がするけどなー
平野氏のいう四つの構造、内容それぞれをきちんと配置すると、
もう文章が決まってくるというか、それこそが日蝕になるね。
それだけでできていて、余分なものがないことがわかるから。
>>440-445までをカキコした奴と話しあってみるんだな。
四層構造だから精緻な作品というなら、
春樹も龍も綿屋もNanaも精緻な作品だ。
指摘された四つの構造、内容をきちんと配置すると
もうそれだけで表現が決まって、個々の作品になる、と言える。
余分なものがないことがいいことかどうかはわからんぞ。
ないから『日蝕』は稚拙だと言うこともできる。
>>鏡の影読んだけどもっと違う感じだよね。
日蝕みたいに、思想史経験させような意図も(だから説明文も)ないし、
冒頭の、神が聖職者を造ったなら、どんなに一揆をやっても聖職者はいなくならないのでは、という主人公の疑問を読んだかな?
神が全てを予め定めているというのがキリスト教の大前提。では人間の自由意思による働き掛けの余地はあるのか。
ルターの信仰義もカルバンの予定説もこの問題に対する思索から生まれた。
同時にこれは、人間が罪を犯すことを神は何故放置するのか、錬金術やカバラのような秘教的魔術による世界の改変は可能なのか、
という疑問にも結び付く。『鏡の影』はそういうキリスト教哲学史上の重大問題に即して展開してるんだよ。
ちょっとはお勉強しとこうな。
487 :309:2007/10/14(日) 23:13:38
>>最初から錬金術自体を大きなテーマにしてクッキングブックみたいに、
その材料とか作り方とか丹念に描写して、別プロットで書いてる日蝕とは違って、
クッキングブック? 言い得て妙だが、『日蝕』の悪口を言っているとしか思えないな。
>>処女懐胎は表面のプロットに入るものでしょう。
処女懐胎が表面のプロットなら、『日蝕』の奇跡も表面のプロット。思想史
の疑似体験も錬金術クックブックも全部プロットだ。皮肉がわからないとい
けないから書き添えておくが、実際には違う。
>>それに日蝕は一人称だから、別フェーズとしてのプロットを重ねられたけど、
鏡の影の三人称だと、ただの場面展開になってしまうんじゃない?
『鏡の影』を読んだんだろ? ただの場面展開になってたか?
多重構造はプロットを重ねただけのものじゃない。
>>佐藤氏は四つの構造がありますとか何かで言ってるの?
読めば読み取れるものをわざわざ解説する作家はいない。
いわずもがなの解説を自作に加えて得意顔なのは平野くらいだな。
488 :309:2007/10/14(日) 23:14:08
>>463
たしかに309の発言は間違っていると思うよ。
佐藤亜紀が盗作問題に「比較対照できそうな箇所はありません」と公言してる。
平野啓一郎も指摘してる。そんな無理矢理な構造比較で盗作の証明はできないでしょう。
裁判になる盗作は字句にいたるまでの一致を幾つも指摘できるものだけだ。
アイデアやプロットや構造を丸ごと流用しても、
字句を変えておけば、盗作裁判にはならない。
だから佐藤は「ぱくり」と言ったのだし、平野は六年間平然としていた訳だ。
>>何より世界は似ているが記述は違うというのは、最も重要かつ決定的な事実で、
作品各々の構造がそれだけ複雑である事実が示すのは、作品固有の組成の強度であり、
なおさら盗作が難しいことの証明にもなる。castleが指摘したのはここでしょう。
支離滅裂だな。かわいそうだからこれ以上castleの足を引っ張るんじゃない。
「作品各々の構造がそれだけ複雑である事実が示すのは、作品固有の組成の強度であり」
それが同じということは、そのまま流用せざるを得なかったのだということになる。
490 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 23:32:22
余程文学通のようだなwwwwwじゃあ君に質問を出そう。
その質問とは佐藤が鈴木にした質問のことだ。
問一 以下の諸作の言述構造・ストーリー・ファーブラ・行為項・イデオロギー構造における共通点・相違点を論じなさい。
ベルトルト・ブレヒト『ガリレイの生涯』(ベルリン版)
マルグリット・ユルスナール『黒の過程』
ジョン・バンヴィル『コペルニクス博士』
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』
佐藤亜紀『鏡の影』
平野啓一郎『日蝕』
問二 ブレヒト『ガリレイの生涯』とジョン・バンヴィル『コペルニクス博士』について、後者が前者の主題をいかに変奏し、独立した作品に仕上げたかを中心に論じなさい。
問三 『鏡の影』と『日蝕』について、問二に準じる形で論じなさい
当然答えられるよね。文学通君w
491 :309:2007/10/14(日) 23:37:55
お前そりゃ修論級の問題だよwwwww
佐藤も意地が悪いな。
492 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 23:46:10
あれ、君は文学通だから、修論レベルの問題でもお手の物なんじゃないの?
まさか佐藤のリストアップした小説及び戯曲を読んでない訳は無いよね。
ギブするんだったらだったら言わせて貰うよw
309wwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwwwwww
493 :309:2007/10/14(日) 23:49:29
修士号くれるならやってもいいが
文学修士はもう持ってるからな。
それより反論があるなら書けよ。
明日は勤めがあるから早めにな。
494 :吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 23:52:41
あれ? 君が文学修士なのは分かったど、それじゃ解答にならないなぁ?
さぁ早く答えてもらおうか。もう一発言わせて貰うよw今度はageでなw
309wwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwwwwwwwwwwwww
495 :309:2007/10/15(月) 00:14:01
おれのカキコには反論なしってことだな。
問題の解き方は教えてやれるよ。
問一にはエーコの「物語における読者」を読んで応用すればいい。
問二は知の探求と命惜しさの姑息な世渡りについて、共通点と相違を指摘すれば及第点は取れる。
問三は問二と同じ形で奇跡の扱いについて書けばいい。
佐藤の思惑では
問一で『鏡の影』と『日蝕』の構造の類似と先行する作品との相違が明らかになり、
問三で『日蝕』が『鏡の影』からどの程度独立しているかが明らかになる。
ただし問一と問三の答は分かれるだろうな。
同一だということにしたければ、『鏡の影』の、狂信者の町に入ってから火刑までを取り上げればいい。
違うと言いたいなら小説の全体を取り上げろ。
どこの教授だってこれ以上のヒントはくれないよ。
健闘を祈る。
511 :吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 01:21:58
一つ確認しておきたいのだが、
平野啓一郎の盗作の具体的内容が>>420だというのは、
このスレにおける盗作肯定派の一致した見解なのか?
この問題は気になっていたのだが、
平野が具体的にどうパクったのか、きちんと指摘してあるページが、
ネット上全然見つからない。
正しいかどうかは別にして、具体的に指摘しているのを見たのは、このスレが初めて
515 :吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 02:00:47
>>511
それだけは勘弁してくれ。
アフォだと思われる。
今週中にはまともな指摘をするよ。
――
続き