佐藤亜紀明治大学公開講座第四回(2007.12.8)[2]

質疑応答

――タレーランてどんな人?爬虫類顔って?プーチンに近い?

 あ、プーチンには近いです。ただ、タレーランというのは、でかくて太った男なんですよ。それが蛇みたいだっていうのはちょっといやな感じですね。俳優で言うと、ジェラール・ド・パルデュー(Gérard Depardieu)(→写真)がやるといいと思います。ダヴィッドの描いた『ナポレオンの戴冠』のこっち側にでかい態度で描いてありますけれど、その寸法を見ると、うーん。これはあれだねって。ジェラール・ド・パルデューがやるといい。で、実際この男ね、身長が186か187。当時170ぐらいですから、180を超えてるとでかいです。プーチンて168?小さいのね身長は。

――作り手の意図と受け手のずれみたいなものに関して。例えば『エヴァンゲリオン』は、受け手が勝手に感情移入して深読みをしてしまうが…。

 『エヴァンゲリオン』はね、作ってないというより、モチーフだけ。モチーフというか、引っ張るとなんか出てきそうな糸をいっぱいぶらさげてるのね(笑)。実際問題、全部こうやってずっと引っ張っていったら、多分するっと抜けて何も残らない可能性はあると思います(笑)。凄くそういう誘惑のやり方をされています。
 私、最近の奴は観てないし、漫画版も読んでないし、最初の時のアニメをビデオで借りてきて観ただけだけど、何も考えてないんじゃないか。ただ、図像は凄く意味深なんですよ。いきなり天井に生命の木が描かれてたりする。なんなんだろうねあれ、って感じ。
 作り手と受け手のずれというのは、確実にいつも存在していると思います。あらかじめ決められたイメージみたいなものじゃなくて、そのイメージの範囲で作品を全部見ちゃうという観客が非常に多いという事です。だから、スピルバーグはファミリームービーの監督だからということで、それ以上の物は出てこないだろうと最初から決めていて、何が出てきても観ないという人は結構多いです。

 ――CGの映画について。実写と何かが違うという違和感があるが。具体的には『ベオウルフ』。モーションキャプチャーで役者を使っていたりする。アニメならば、情報量が少ないのに逆に…。

 アニメについては、単純化されたものを見た時に、われわれは頭の中で補完してしまうんですね。補完したイメージの方が、事細かに与えられたイメージよりも観ている一人一人にとっては具合がいいんですよ。それがある種アニメの強みだと思う。『ベオウルフ』は観てないんですが、「鬼武者2」というゲームが昔ありまして、「鬼武者1」は金城武だったんですよね。顔がね。金城武がずっと出ている分にはあんまり気にならないし、金城武の結構安いCGの顔が、まったく表情動かないで、こっち向いたりあっち向いたり、口パクでもって「雪姫を返せー」とか言ってる分には(爆笑)ですが、その次の2って奴が。松田優作ってのは、けして悪い役者じゃないし、映画で見ている分にはそれほど私は嫌いじゃなかったんですが、あの顔で、しかもやっぱり全然動かなくって、うろうろされるとね、あの顔見てるのすっごく辛くなってくるんですよ(笑)。結局のところ、現状のCGの動かし方なんか見ていると、なまじ個性的みたいな顔では、とてもじゃないが持たないということが、もしかしたら明らかになるのかも知れない。金城武みたいなこじんまり可愛い顔の方が、見ていて抵抗がないから、何時間でも見てられるんです。
 もうひとつ、その話ちょっとしようかと思っていたんですが、美しい顔って何なのかと言うと、標準的な顔だって説があるんですよ。つまり、とりわけて飛びぬけたところがあるわけではなく、飛びぬけて均整が取れているとか、飛びぬけて形が美しいとかじゃなくて、サンプルの数を増やして行けば行くほど、それを全部ぐちゃまぜにして、足して、割って、出てきたCGの顔が美しいという統計がある。だから、美しい顔というのは、ただ単に非常に標準的な顔だってことかも知れないです。そうだとすると、美しい顔というか、美形っぽい奴がずっと出てると、なぜ目に優しくて疲れないかというのは、何の特徴もないからです。逆にね。ただ、これに表情が入ってきたりすると、全然別なことになるんですけれど。ただ、それもあれなんじゃないかな。この前映画における色彩の話をやりましたけれど、表情まで技術的に動かせるようになったとしても、われわれがそれを使いこなせるようになるには、凄い時間がかかるし、使いこなせたとしても、見て分かる人というのはそんなにいないかもしれない。

――肖像写真の時に、「没落している」とおっしゃったのが、私には良く分からなかったのだが。

 ああ、あれは襟周り。あの当時のシャツって、一応きちんとしてて、今みたいにある物を着て出てきて、なんとなく合ってないのが格好いいという時代じゃないんで、あんなカラーでしょう?そうすると首とかきちんとあわせるんですよ。それが合ってないというのは、本人がよほど痩せたか、きちんとした服がないんで、人から借りてきたか、そういう非常に不幸な事情があったからです。

――(ぷり注:すいません聞き取れません)。

 『シンドラーのリスト』は、そういうメリハリのつけ方が非常にうまいんです。橋の所でも印象に残る顔と残らない顔があるわけです。凄い人数が映っているにもかかわらず、その時に印象に残っている顔というのは、三人ぐらいに絞られるんです。そういう微妙なコントラストのつけ方をしている。ただ、そのコントラストのつけ方というのが、いくら考えても判明しないんですが。
 ええ。あるいはその場面の、「こういうふうな」という指示の仕方に何か特徴があるのかも知れません。あるいは、役者というのは、自分を光らせたり光らせなかったり出来るのが前提なのかも知れません。そこはプロ中のプロに聞いてみないと分からないところがあります。

――ビリー・ワイルダーがヨーロッパ的と言ったが、具体的には?

 『失われた週末』の、どこまで行っても店が閉まっているニューヨーク。あれはドイツ語圏のどっかに凄くかぶる。誰の目にもそう見えるかは微妙だが、個人的に言うとドイツ語圏に旅行するとさ、週末ああいう目に逢うじゃん、みんな。

――四時を過ぎるとコンビニも閉まるとか?

 そうそう。四時を過ぎるとあれだってのはなんとか対処も出来るけれど、土曜日曜、一軒も開いてないってそれどういうこと?って日曜の午後に呆然とするって言うような経験を持っていると、余計そういう風に見えるのかも知れない。でも、多分建物の**の問題とかそういう所から来ていると思います。 顔の扱いはむしろどちらかというと、普通に当時のハリウッド映画の撮り方をしていると思います。
 それから、『アパートの鍵貸します』なんかでも、事務所の撮り方なんかがさ、超近代的=アメリカ的だった時代のイメージがあるんだけれど、同じような超近代的なイメージというのが、両対戦間のヨーロッパ人なんかが考えたとしても全く同じ撮り方をしただろうと思うような所があります。事務所ね、非常にへんちくりんなセットを組んでいるらしいんです。閉塞感みたいなのを出すために。そういう所の意図なんかも、例えば『アパートの鍵貸します』の世界というのは、カフカなんかに通底しているかもしれないという気がちょっとするわけです。

――安倍がへたれというブログの記事について。

 あれを書いたのは、どちらかというと、人相面みたいな観点から書いたんですよ。その時に思っていたのは何かというと、竹下登という政治家のを覚えておられるでしょうか。竹下登が首相になるかならないか、首相レース出たといった時に、その首相候補何人かとテレビ番組に映ったんですね。その時にね、竹下登の顔が光ってたんですよ。比喩的に「光ってた」んじゃないよ。比喩的に光ってたんじゃなくて、物理的に光ってた。なんか豆電球みたいに光ってた。本当に。政治家っていうのは、そういう瞬間になると、もし次にそういうチャンスがあったら見てほしいんですが、顔が光るんですよ。勝利を確信してるから光ってるの?というとそういうものじゃなくて、なんか、肌の底からつやが良くなってくるという。強いて科学的に言うなら、そういうあるハイな感じが目にも出ているというような言い方になると思うんですが、感覚的に言うと、豆電球みたいに光る。ぱちんとスイッチ入れたみたいな。
 ていうか、観相学って言うのは、権力闘争ばっかりやってた人たちによって練り上げられたものだから、だから、そういう問題に関しては、占い関係の人はみんな言いますけれど、立身出世の問題を扱いたいんだったら、四柱推命か、観相学か、**学か。西洋占星術はそういう時になんの役にも立たないって言います。
 安倍の場合何が駄目だったかって言うと、あのおちょぼ口が明らかに権力者の顔じゃないんですよ。かなり強壮だと思いますけれど、にも関わらずプーチンはちゃんと勝つ顔をしてますから。ちょっと写真を並べて考えてご覧ていう。多分リングにあげてデス・マッチやらせたら、今世界で一番強い、というか、サミット参加国の首脳の中では彼は最強でしょう。一人で三人ぐらい相手にしても負けないと思う。これが、第三世界入ってくるとちょっとあれなんですけれど、チャベスとか明らかにだぶだぶして弱そうですし。ごめんなさい余談で。



講師:佐藤亜紀
原稿起こし:ぷりぷりざえもん
2007.12.8明治大学にて行われた講義より。

※この原稿は、講師のチェックを受けていません。ぷりぷりざえもんが許可を得て個人的に録音し原稿に起こしたものです。
※いつものように、ミス、抜け、聞き取れなかった部分のフォローよろしく!
※(笑)っているのは、主に受講者です。